江の島 岩屋洞窟

修行の場から人気の観光スポットに

岩屋洞窟は、江の島の岩礁が、数千年の時をかけて波浪に浸食された後、度重なる地震によって海底から隆起し、現在のような陸上の洞窟となったものです。江の島と岩屋に関する最も古い記録は、552(欽明天皇13)年の、『天皇の勅命により島の洞窟に神を祀った』というものです。この洞窟は、藤沢市によって管理され、観光スポットとして開発されたため、昔の素朴な面影は消えてしまったと嘆く声も聞きます。それでも、暗い洞窟の中にはどこか神秘的な雰囲気が漂い、大自然の力を感じずにはいられません。

江の島に恋した外国人

1869(明治2)年のある晩、28才の血気盛んな英国人の若者を乗せた蒸気船が、伊豆半島沖で台風に遭い、難破しかけました。高波は蒸気船を相模湾の海岸近くまで押し流していました。明くる朝、嵐が静まり、若者が恐る恐る甲板に出てみると、目の前には美しい江の島が姿を現していたそうです。若者の名前はサミュエル・コッキング(後に日英貿易に成功し、莫大な財を築く)。この時、一瞬にして彼は、江の島の魅力に取り憑かれてしまいました。

コッキングが目にしたのは、江の島の南西岸にあたる岩場で、ちょうど岩屋の付近だったようです。後に日本人妻を迎えたコッキングは、江の島の山頂に広い土地を購入し、最新式の設備を整えた植物園と別荘を建築しました。

修行の場から人気観光スポットへ

江島神社の社伝によれば、552(欽明天皇13)年、地震の後、一夜にして海底から出現した江の島の話を聞いた天皇は、洞窟に宮を建てるよう命じました。その後、奈良時代には修験者の役小角、平安時代以降は空海、円仁、日蓮などの僧侶が、洞窟に籠って修行をしたということです。また 1182(寿永元)年、源頼朝が鳥居を奉納したのをはじめ、江の島は時の権力者からの崇敬を集めました。江戸時代後期まで、江の島全体が神の住む聖域として守られてきたのはそのためです。やがて、庶民の娯楽として、寺社仏閣を参拝する物見遊山の旅が流行すると、江の島は人気の名所となります。広重北斎豊国などの浮世絵師が、こぞって江の島の絵を描き、それが更なる宣伝効果となりました。

岩屋見物のススメ

1971(昭和46)年3月、岩屋で落石事故が起こり、以後20年間は洞窟への立ち入りが禁止されていました。江の島で生まれ育った友人は、子どもの頃、岩屋は危険で恐ろしい場所だと言い聞かされてきたので、近寄ることさえできなかったと言っていました。仲間内でも勇気のある子だけが、岩屋の入り口まで行くことができましたが、それでも決して中には入らなかったというのですから、島民にとっても特別な場所だったのでしょう。

1993(平成5)年に、藤沢市が洞窟およびその周辺を整備して、岩屋は観光スポットとして返り咲きました。しかし、修験者らが修行をした場所、というような荒々しさはまったくありません。岩屋へのアプローチはコンクリートで舗装され、転落防止の手すりが張り巡らされています。さらに内部は、照明がつけられて、ミュージアムのようにパネルが展示され、石のオブジェやプラスチックの龍などが飾られています。

入り口で入場料を支払い、まずは左側の第一岩屋(152m)に入ります。江の島を紹介するパネルを見ながらしばらく進んでいくと、道は二つに分かれます。左側の洞窟をどこまでも進んでいくと、有名な地獄穴に出るらしく、さらにその先は富士山の鳴沢氷穴につながっている!という噂があります。次にパネルのところまで戻って、一度外に出ます。これが第二岩屋(56m)に通じる歩道ですが、やはり驚くほどきちんと整備されています。海風が気持ちよく、眺めも素晴らしいので、私としては、洞窟の中よりもむしろ、ここで時間を過ごしたいと思うほどでした。

江の島を訪れるなら、一度は岩屋洞窟へ行ってみることをお勧めします。岩をよじ上って突き進んでいくような大冒険はありませんが、ちょっぴり神秘的な地底の世界を見ることができます。

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