借景の庭園 柴田氏の庭 ふらりしました

江戸時代の豪農の心意気が感じられます

敦賀市内から旧の27号線、現在の県道225号線を小浜方面に進むと少しカーブした道の右側に木立が見えます。過ぎたところに無料の駐車場が有りますので車を置いて、訪ねてみました。

柴田氏庭園入口の石柱には、「甘棠館」の文字が刻まれています。右の説明板には文部省の文字、築山泉水庭を、難しく解説されています。木々に囲まれたゆっくりとした空間を奥に進みます。左に浩宮様が訪問された(楠正成由来からか)事を記念した植樹が大きく成長しています。中門の入口にもっと詳しい説明が有りました。それによると、江戸時代の敦賀の豪農・柴田権右衛門が、絵師・狩野探幽に地割り設計を任せた築山泉水庭で、江戸時代初めに出来、別名「甘棠園(かんとうえん)」とも呼ばれているという事です。参勤交代の時は小浜藩主の休憩所に使われたそうです。敦賀のランドマークの野坂山(標高が914mで、敦賀市の郵便番号の上三桁(914)と偶然一致している)を借景にし、簡素な古式書院造りと庭が落ち着いた空間をつくり出していて、国の名勝に指定されています。

庭園に入ると目の前に池が横に長く広がり、街中の道のすぐ横にあるのに、静かな、まるで奥山のようなそれでいて明るさを失わない雰囲気に浸れます。木々は年月をしっかりと伝えていて、名前由来のヤマモモの大木や、楠の古木、池には大きな鯉、縁側から眺めると梢の上に野坂山がうっすらと春霞に浮かんでいました。池の菖蒲ももうじききれいな花を咲かせるでしょうね。

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Katsuyuki Tanaka 執筆者 8年前
Yamaguchiさん、コメントありがとうございます。
江戸時代の豪農と呼ばれる層は、古くは豪族であった可能性が高く、経営感覚は今の大企業の方と同じレベルであったと推測されます、何せ、その頃の主要基幹産業は農業だったんですから、前の通りも丹後街道ですから、その勢力の大きさが推測されます、大事に維持運営されているのが好印象でした。
Yui Yamaguchi 8年前
江戸時代、農民は苗字がなかったと習いましたが、この方は大変な有力者だったのでしょうね。とても興味深い記事です。
Katsuyuki Tanaka 執筆者 8年前
225号線をもう少し小浜方面に進むと、右側に小さなお店「かたパン」の看板膨らんでいないケーキのお煎餅のようななつかしい味のパンを作っておられます、お寄りになることをお勧めします。

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