源右衛門窯 有田

有田は日本磁器の生誕地

有田は、日本磁器の生誕地。その起源は17世紀初頭に遡り、朝鮮出身の陶工・李参平(朝鮮名:イ・サムピョン)が、有田の泉山で白磁石の地層を発見したことに由来する。李参平は、今日の有田でも称えられている存在だ。彼は、日本による朝鮮侵攻の際に捕虜とされた。後生を有田で過ごし、日本の職人たちに磁器の製造技術を教えていた。町には彼を称える像と神社があり、源右衛門窯にもそれが置いてある。

この地域は、磁器製造に使用される原材料のほかに、従来の手法を上回るような進歩的な焼成技術を開発した。

中国がヨーロッパ市場への磁器輸出を制限していた頃に、ここ有田は繁栄していった。オランダの貿易会社である東インド会社が伊万里に輸出拠点を設立し、磁器は「伊万里焼」として知られるようになる。ヨーロッパ市場に初めて輸出された日本磁器は、中国磁器(明朝時代の作品)のデザインや色、形状を模倣したものだったが、時代とともに、日本の職人たちは独自のデザインや形状、色調を開発していった。こういった基盤が整い、今日に至るまでにも、ある特定の職人たちはその価値を非常に高く評価され、国宝とみなされている。

源右衛門窯は、質の高い日本磁器の現存する生産元で、日本における磁器製造の始まりに時を遡る。当窯元があるのは、有田のなだらかな山地だ。有田を訪れる際には、町を見て回るのに自転車レンタルをオススメする。この地域は窯元やお店が沢山あり、車で見て回るのは簡単だが、レンタカーに比べて自転車レンタルのほうがより利用しやすいし、日帰り旅行でも訪れることができて節約にもなる。自転車は鉄道駅でレンタルすることができる。この地域は坂が多いが、自転車での探索は面白くて気楽なのだ。

源右衛門は、伝統的な職人技術を礎としている。陶磁器は職人の手によって成形、絵付けがなされ、細心の注意をもって焼成される。窯では、焼成過程において、アカマツという特有の燃料が使われる。職人たちは、明かりが入る窓際に面したところで、イスに腰掛けて作業を行う。職人たちは、磁器制作における特定の工程において各々が秀でており、ろくろ成形、下絵付け、施釉、上絵付け、といった工程がある。有名な窯元で何かしらの工程を担当するようになるには、何年もの修業期間が必要となる。

1981年2月、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が訪日。日本滞在中、教皇は戦時中に広島で亡くなった人々へ敬意を表し、核戦争反対を唱えた。また、教皇は昭和天皇(裕仁天皇)にも謁見した。教皇の滞日中、源右衛門窯は磁器一式を献上。当窯元には、そのとき献上された磁器の再現品とともに、窯元に宛てたローマ教皇庁からの礼状が展示してある。

作品の価格には、ビックリたまげないように。磁器、特にすぐれた職人による作品は高価なものだ。ただ、手の届きそうな作品もあるし、窯や工房周辺を歩いてみて回るだけでも、体験する価値があるだろう。地元の店では、機械生産でさらに手頃な価格帯の磁器も取り扱っている。有田は、ぜひ訪ねてみるに値する、そんな素晴らしい場所なのだ。

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