日光 中禅寺湖

異人たちの足跡 20 アーネスト・サトウ

通算25年もの長きにわたり日本に滞在したイギリス外交官、アーネスト・サトウ(Ernest M. Satow)は、日光中禅寺湖と湖畔の森をこよなく愛した。とくに駐日公使として在任した1895(明治28)年から1900(明治33)年までの5年間は、別荘を建て、多くの休暇をそこで過ごしたようだ。在日中、サトウの日光訪問は30回以上、のべ218日間に渡った。

中禅寺湖

中禅寺湖は男体山の南麓に位置する、周囲経25kmの湖である。約2万年前の男体山噴火によってできた堰止湖で、北西に戦場ヶ原、北東に華厳ノ滝、湖の南岸には見事な紅葉で彩られる八丁出島が突き出ている。湖面には、四季折々の山の変化が、鮮やかに映し出される。

中禅寺湖を満喫する方法

その1 船遊び

遊覧船は一年中運行されているが、スケジュールは季節によって異なる。紅葉の時季なら、主な見所を周遊する『紅葉巡り』コースがおすすめだ。このコースは、船の駅中禅寺から、約1時間かけて菖蒲ヶ浜、中禅寺湖南岸、八丁出島などを巡る。夏は、船の駅中禅寺から千手が浜、または菖蒲ヶ浜への片道航路も運行される。定期航路は『名所大巡り』で、主に湖の東側を周遊する。また手こぎボートやスワン型の足踏みボートもレンタルすることができる。

その2 ハイキング

湖畔を取り囲むように、ハイキングコースが整備されているので、のんびりと景色を楽しみながら歩くのもお勧めである。とくに、北岸のコースはバス路線と並行しているので、途中、疲れたらバスに乗ることもできる。南岸コースは距離が長く、中禅寺温泉から立木観音を経て、千手ガ浜まで5時間ほどかけて森の中を歩くコースだ。あまり人が行かないコースだが、様々な角度から中禅寺湖と男体山を望むことができる。

その3 湖畔の喫茶店、またはベンチ

湖畔の喫茶店でゆっくりと湖を眺めるのもいい。カラフルなジャケットを着た釣り人や、オレンジ色のカヌー、高速で湖面を滑っていくモーターボート、さざ波がキラキラと輝く水面など、昼間の湖は変化に富んでいる。早朝と夕暮れは、音のない不思議な世界だ。観光客がいなくなった湖はしんと静まり返り、長い雲が形を変えながらゆっくりと流れていく。

アーネスト・サトウ

アーネスト・サトウは1843(天保14)年にロンドンに生まれた。カレッジ時代、江戸末期に訪日したローレンス・オリファントの本を読んで日本に憧れ、外務省の日本語通訳官の試験を受けたのが、彼と日本との出会いである。オリファントは、日英通商条約が結ばれた1858(安政5)年に来日したが、1861(文久元)年の第一次東禅寺事件で襲撃されて重傷を負い、やむなく本国に帰国した人物である。サトウの日本滞在は、1862(文久2)年、横浜に始まる。途中、賜暇とタイやモロッコなどへの赴任を挟んで、駐日全権特命公使として再来日した後、最終的に離日するまで、通算25年を日本で過ごした。当時の日本は開国後の混乱期にあり、サトウの生活は多くの困難を伴った。しかしサトウは、短期間で日本語を習得して、文語・口語の読み書きはもちろんのこと、書道や能など、日本文化全体に、洞察と理解を深めていった。その結果、多くの日本人から信頼を得て、日本政府高官との太いパイプを形成する。最終的に離日する頃には、日英両国の政府から高い評価を受けるようになっていた。

一方プライベートでは、公使館付き医官であったウィリアム・ウィリスや、画家でイラストレイテッド・ロンドン・ニュースの特派員であったチャールズ・ワーグマンらと親交があった。後にウィリスはサトウの生涯の友となる。ワーグマンとサトウは連れ立って出かけることが多く、ワーグマンが横浜で発行していたジャパン・パンチには、サトウを描いたコミカルな漫画がしばしば登場する。それを見ると、二人が打ち解けて楽しい時を過ごしていたことが想像できる。

サトウは公式には生涯独身であったが、内縁の日本人妻と三人の子供がいた(長女は早世)。長男栄太郎は結核を患い、転地療養を兼ねてアメリカに渡り、アメリカ人女性と結婚した。農場経営などをして一時は快復したかのように見えたが、46才で亡くなった。次男久吉は、幼い頃から植物への関心が高く、サトウの援助でロンドンに留学した。後に植物学者として活躍し、北海道大学や京都大学で教鞭をとった。

中禅寺湖別荘

サトウは中禅寺湖の東岸、砥沢というところに土地を借り、別荘を建てることにした。当時、ほとんどの外国人は東照宮とその周辺に滞在し、中禅寺湖のある奥日光まで足を運ぶことはほとんどなかったようだ。

1896(明治29)年5月30日、サトウは友人のイギリス人建築家、ジョサイア・コンドルとともに中禅寺湖を訪れた。サトウが心待ちにしていた湖畔の別荘建設がいよいよ実現するのである。ボートハウスの位置や、テラスのデザインを決めるため、前日に汽車で東京を発ち、日光駅からは、いつものように徒歩で中禅寺湖に登っている。サトウの日記には、その時の喜びが表現されている。

『すばらしい朝だ。コンドルと別荘の敷地に行って、ボートハウスの位置を決め、背後の丘へと続く小道を歩く。・・・白や赤や薄紅色のツツジが咲いていた。』

7月15日頃には、別荘はほぼ完成した。サトウは、すぐに友人を招いてお茶をしたり、ボートが届けば、帆を張って友人の別荘を訪ねたりした。8月5日には、旅行作家のイザベラ・バード(結婚してビショップ夫人となっていた)と駐日ベルギー公使の別荘でランチを食べ、午後は、スペイン大使館の書記や外交官夫人たちをボートに乗せて自宅に招いている。

中禅寺湖は季節により、また一日の内でも時間により、様々な表情を見せてくれる美しい湖である。湖畔に寄せるさざ波、山から見下ろす遠景、雪解けの水音、新緑の香り、そして秋の華麗な紅葉と、サトウのように何度でも足を運んで、お気に入りの時間を過ごしてみたいものである。

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