鎌倉大仏
Tomoko Kamishima鎌倉大仏は、150年も前から、外国人向けの旅行ガイドブックに、なんと写真入りで紹介されてきた。そして当時も今も、海外からの旅行者が、必ず記念撮影をする場所である。人々の心を惹き付けるその魅力とは何なのだろう?
そこは150年も前から、外国人向けの旅行ガイドブックに、なんと写真入りで紹介されてきた。そして当時も今も、海外からの旅行者が、必ず記念撮影をする場所である。その場所は・・・高徳院の鎌倉大仏。800年近く大規模な修復や再建もなく、堂宇を失って500年もの長きにわたり、青空の下に座り続けてきた美しい仏。人々の心を惹き付けるその魅力とは何なのだろう?
大仏の誕生
1185(文治元)年に鎌倉幕府が成立すると、直ちに鎌倉市中の都市計画が進められた。鶴岡八幡宮を中心に道が開かれ、幕府の周囲には御家人たちの屋敷、そして仏教による国家鎮護のために寺社が、四方に配置されていった。
さらに、京都や奈良に倣った都市づくりのためにと、首都にふさわしい象徴的な建造物が造られた。その象徴が、実は大仏だったと考えられている。
鎌倉幕府の公式の歴史書『吾妻鏡』によれば、大仏建設は1238(暦仁元)年に開始され、1243(寛元元)年に開眼供養(完成の儀式)が行われたと記されている。同時期の資料である『東関紀行』にも、1242(仁治3)年に木造の大仏と大仏殿が、3分の2ほど完成していたと記載されていることから、時期的な矛盾はない。ところが、『吾妻鏡』の1252(建長4)年の項には、金銅八丈の仏の鋳造が始まったとある。初代建造から、わずか10年で新大仏を造ることになった理由については、初めの木造仏が天災などの理由で失われ、代わりに耐久性のある金銅仏が造られたというのが、現在の定説になっている。そしてその金銅仏が、今日私たちの目の前にいる760才を越えた二代目大仏なのである。
大仏の外観
まず、右頬に注目していただきたい。わずかに残った金色の部分が見えるだろうか。完成直後の大仏像は、全身が黄金色に輝いていたという(大仏は金色にすることが定石だった)。奈良の大仏には鍍金が施されていたが、鎌倉大仏は鉛を20%近く含む青銅製であるため、鍍金を施すことは技術的に困難だった。そこで、全身に金箔を貼りつけていたというのが、昨今の研究者たちの意見である。数百年も風雪に晒されてきたために、金箔はすっかり剥がれて青銅面が露出し、そこに緑青が浮いて、素朴な青緑色の大仏像になったのである。
目の大きさは、まぶたの端から端までが1m、耳の大きさは1.95mで、耳朶に大きなピアスの穴があいている(シッダールタが王子だったときに開けたものらしい!)。像高は11.387m、重量は121t、下から順に鋳造されていったため、金属のつなぎ目がパッチワークのように見える。大仏胎内からそのつなぎ目を見ると、非常に精巧な接合技術が施されているのがわかる。
大仏境内には本堂に相当するような建物はない。石組みの台座に大仏が孤独に座っているのみである。だがよく見ると、大仏の周囲には、おはじきをばらまいたように、平坦で大きな丸石が散らばっている。みんなが何となく腰掛けてくつろいでいる丸石。実は、これはベンチではなくて、大仏殿の礎石だったのだ。
大仏殿の倒壊と再建を示す記録は、1335(建武2)年の『太平記』、1369(応安2)年の『鎌倉大日記』などに見られるが、1486(文明18)年の『梅花無尽蔵』では、すでに露坐となっていたことがわかる。なお、一般に1498(明応7)年の津波で倒壊したとされる記述を見かけるが、2000(平成12)年に行われた境内地の発掘調査により、1369(応安2)年以降に大仏殿が再建された形跡はないという調査結果が出ている。
大仏を訪れた大統領
40年前、あるアメリカ人の一家が鎌倉の大仏を訪れた。子供たちに大仏を見せようとはるばるやって来た両親の深い心をよそに、少年は大きな青銅の固まりにはまったく興味を示さなかった。それよりも、近くで売っていた抹茶アイスクリームを食べてみたくてうずうずしていたのだった。月日が経ち、2010年11月、横浜でAPEC首脳会議が開かれた後、ヘリコプターや警察の厳重な警備の元、鎌倉を訪れた人物がいた。成長した40年前の少年は、あの時の大仏を、自分の目でしっかりと確かめてみたいと思っていた。再び大仏の前に立ったその人は、第44代アメリカ合衆国大統領、バラク・オバマ氏である。
鎌倉大仏の魅力は、その表情にあると思う。大仏表面の色や、大仏周囲の環境は時とともに変化していった。しかし、瞑目した表情に現れているのは、時の流れに左右されない不変の何かである。私たちは、その何かに惹かれてここにやって来るのではないだろうか。
では次に、鎌倉大仏がどのようにして作られたのか、また大仏の姿形には何が表現されているのか、その鋳造技術と意匠に迫ってみたい。
シリーズ:鎌倉大仏
鎌倉大仏:500年の風雪に耐える露坐の大仏
鎌倉大仏造像の謎
(11月中旬、鎌倉大仏は、世界糖尿病デーのイベントの一環として、青色にライトアップされる。詳しい情報はこちら。)
鎌倉大仏は、150年も前から、外国人向けの旅行ガイドブックに、なんと写真入りで紹介されてきた。そして当時も今も、海外からの旅行者が、必ず記念撮影をする場所である。人々の心を惹き付けるその魅力とは何なのだろう?
鎌倉大仏について語る歴史的資料は、驚くほど少ない。多くの研究者が大仏造像の謎に挑み、2000(平成12)年には大規模な発掘調査も行われた。その結果、今日わずかながらその鋳造過程が明らかになってきた。
鎌倉の長谷観音門前にある木造二階建ての和風旅館、對僊閣(たいせんかく)は、100年の歴史を持つ独特の趣をたたえた宿である。ここでは、時間の流れを肌で感じ、ここにしかない空気を味わうことができる。
もし葉山ホテル音羽の森に行くのならば、一番よい過ごし方は、何もせずにリラックスすることかもしれません。そこは日ごろの喧騒を忘れる本当のリゾートだと発見できるでしょう。
鎌倉の人々が愛してやまないお菓子を味見してみましょう。鎌倉ニュージャーマンのカスタードクリームがいっぱい詰まったふわふわカステラは、感動の味です。特にキャラメルカスタード味が観光客に人気です。
あら珠名物のとんかつを一口頬張れば、そのジューシーな味わいの虜になることうけあいです。あら珠のメニューはとんかつだけではありません。モッツァレラメンチカツやクリームコロッケなど、他の名物料理もぜひ味わってみてください。
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