前項では、青銅の大仏が完成した760年前、それがどのような姿だったのかを見た。そして、驚くべき鋳造過程と巧みな接合技術の概略をご紹介した。この項では、大仏意匠に隠された秘密を探ってみたい。
大仏の螺髪(らほつ)と白毫(びゃくごう)
一般的に、仏像の髪はカールして固くねじれ、一房ずつ右巻きに巻いている。この髪型を螺髪というが、奈良の大仏では966個、鎌倉大仏では656個が確認されている。ところが、鎌倉の大仏では、螺髪はすべて左巻きなのだ(写真1)。へそ曲がりの人を「左巻き」と言うことがあるが、大仏がへそ曲がりだった訳ではない。大仏は、鎌倉幕府が新しい都を繁栄させるために、シンボルとして造立したものだと考えられており、京都や奈良の仏像とは異なる、全く新しい造形が必要だったのだ。
仏の額中央にある突起物は白毫といい、長さ4.5mの白い毛が丸まっているものだという。通常は右巻きであるが、鎌倉大仏では、これも左巻きである(写真2)。『法華経』序品には、仏が瞑想に入ると眉間の白毫が光を放ち、東方一万八千世界を照らしたと記されていることから、鎌倉を照らし、日本を照らす大仏であることを願った意匠ではないだろうか。
大仏の口ひげ
鼻の下をよく見ると、口ひげが彫り込まれているのが見える(写真3)。仏は男でも女でもなく中世的な存在であるが、ひげは徳を表し、救いの光を放つため、仏像に描かれることが多い。
大仏の耳たぶ
耳の大きさはなんと195cmもあり、耳たぶには、とても大きな穴があいている。横から見ると、耳朶は顎の近くまで垂れ下がっているが、大きい耳は、広く世の中の声を聞くための意匠であるという。2500年前のインドでは、貴族の男性は耳璫(じとう)という豪華なピアスをつける習慣があり、大仏の耳もその風習に由来するらしい。
男性的な骨格
本来、大仏に性別はないはずであるが、強さの宿る切れ長の目、鼻梁の通った大きい鼻、両顎の張った力強い輪郭、固く結んだ口元などは、男性的な雰囲気を表しているように見える(写真5)。このような男性的な表現は、鎌倉の御家人たちに非常に好まれた。京都の社寺には、優美で繊細な仏が多いが、鎌倉の仏たちは素朴で力強い。宮廷貴族や平氏の好んだ定朝様(じょうちょうよう)の作風に対して、この男性的な表現は、奈良仏師・運慶が東国で広めた作風で、運慶様(うんけいよう)と呼ばれる。
前屈みの姿勢
側面から大仏を見ると、肩の丸みがよくわかる(写真6)。そして頭部を前に突き出す前屈みの姿勢は、猫背のようにも見える。なぜこのような姿勢になったのか。大仏殿があった頃、大仏の視線は、ちょうど参拝者と向き合うように設計されていた。どこか遠い場所を見つめる仏ではなく、人々に向かい合う仏。それが鎌倉大仏の造形にはっきりと示されているのだ。
指の組み方
仏像を見るとき、様々な指の組み方があることに興味を持っている方は多いだろう。この指の組み方を印相と言い、仏の種類や悟りの程度、性格などを表している。
鎌倉大仏が結んでいる印相は定印(じょういん)といい、仏が瞑想状態にあることを示す。定印は、一般に阿弥陀如来または釈迦如来に見られるものであるが、鎌倉大仏の定印は、正面で合わせた親指の角度が通常とは異なる。また親指に隠れた人差し指が、ほんのわずかに見えていることも珍しい(写真7,8)。この点でも、密かに鎌倉新大仏をアピールした可能性がある。
鎌倉幕府の願いは、長く主権があった京都や奈良ではなく、遠く離れた東国の地・鎌倉が、日本の新都として繁栄することであった。また、幕府の大仏造立の目的は権力の誇示ではなく、鎌倉が新しい政治を行うにふさわしい土地であることをアピールすることであった。したがって、これまでの常識とは異なるものを打ち立てていく必要があり、大仏には、独自の意匠を加えたのだろう。また、直接人々に語りかける目線の仏像であることも、強く求められたのではないだろうか。
参考文献
- 『鎌倉大仏』清水真澄 有隣新書
- 『鎌倉大仏の中世史』馬淵和雄 新人物往来社
- 『日本の仏像19 高徳院鎌倉大仏と鎌倉の古仏』 講談社BOOK倶楽部
- 『鎌倉大仏と阿弥陀信仰』神奈川県立金沢文庫
- 『鎌倉大仏の謎』塩澤寛樹 吉川弘文館
シリーズ:鎌倉大仏
鎌倉大仏造像の謎 (2) : 大仏意匠に隠された秘密