11 文化 京都 厭離庵 Tomoko Kamishima 「厭離庵」というのは、隠者が世俗を嫌って移り住むというほどの意味だろうか。13世紀前半、鎌倉幕府の御家人・宇都宮頼綱が、宮廷歌人の藤原定家にこの山荘のふすまを飾る色紙の作製を依頼した。定家は、山荘に起居して色紙用の百人一首を撰定したといわれる。
16 京都東山「八坂神社」参詣 Shozo Fujii 元々日本の八百万の神々は如来や観音が姿を代えて現れた権現とする本地という神仏混合の思想があり、牛頭天王はスサノオと同神と信仰されていたたこともある