京都 桂離宮

異人たちの足跡 -26 ブルーノ・タウト

京都の南西を流れる桂川の畔は、観月の名所として、平安貴族たちの憧れの土地であった。「月の桂」のイメージは、1000年前の小説・源氏物語「松風の巻」に見ることができる。ある晩光源氏は、別邸「桂殿」で、帝も羨むような典雅な月夜の宴を催した。桂離宮は江戸時代初期に建てられた八条宮家の別荘であり、建物や内装には王朝文化をもとにした意匠が随所に散りばめられている。それらからは、桂離宮の基礎を築いた八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう)、現在の形に完成させた智忠親王(としただしんのう)父子の、深い教養と卓抜したセンスを窺い知ることができる。一方、ドイツの近代建築家・ブルーノ・タウトは、1933(昭和8)年に桂離宮を訪れ「日本美の結晶」「自然で、最も単純な形」であると絶賛した。

源氏物語の「桂殿」のイメージ

光源氏は、須磨から上京してきた恋人・明石の上と姫君(明石の上と源氏の娘)に会うために嵯峨野を訪れたい。しかし、(葵の上の没後正妻となった)紫の上の手前、あからさまに出かけることはできない。そこで、(バレバレの言い訳ではあるが)桂の別邸「桂殿」と造営中の嵯峨野の御堂を視察してくるということにして、桂殿で宴会の準備を進めた。

(桂殿で)客がおのおの絶句などを作って披露していると、月が上り始めた。琵琶や和琴、笛などの演奏に、川風の音が入り交じって風情がある。宴もたけなわの頃、帝より源氏に文が届く。

「月のすむ 川のをちなる里なれば 桂の影はのどけかるらむ うらやましう」

(月見の名所、澄んだ月の住む桂川の向こうの別邸で、あなたは素晴らしい月をゆっくりと眺めているのですね。うらやましいことです。)

源氏は恐縮して、今宵、御所に参内しなかったことを帝に詫びた。

桂離宮の参観

桂離宮は、京都御所、仙洞御所、修学院離宮などと同様に宮内庁が管理しており、参観には事前の申込と参観許可証の取得が必要である。当日はガイドツアーに参加して、決められたコースを回る(詳細はこちら

お茶室いろいろ

参観は庭園の北側から始まり、ガイドに従って中央の池の周囲を、時計回りに回遊する約1時間のコースである。池の汀線は複雑に入り組んでいて、見え隠れする水辺と、変化に富んだ景観を楽しむことができる。東の中島にある松琴亭(しょうきんてい)は、有名な青白の市松模様の襖のある茶室である(後述)。南の中島にある賞花亭(しょうかてい)は夏に涼を取るための小亭で、竹の連子窓が美しい。橋の向こう側では、池辺に咲く深紅の霧島ツツジ(5月初旬)に目を奪われる。さらにその先には、最も南側に位置する茶室・笑意軒(しょういけん)がある。開け放した窓が切り取る新緑は、一幅の絵のようだ。

書院と観月

桂離宮の中心的な建物である書院は、参観コースの最後に立ち寄るハイライトである。なかでも古書院は、智仁親王が最初に建てたものであるとされ、池に面して広い月見台が張り出しているのが特徴である。月見台は柵のない広縁に竹簀の子を敷いたテラスのようなもので、仲秋の名月を観るためのベスト・ポジションとして作られた。コンピュータの計算によると、月見台からの月は、当時の午後8時から10時頃まで、夜空と池の両方に輝いていたという。

ブルーノ・タウト

ブルーノ・タウト(1880-1939)は桂離宮の日本美を世界に紹介したドイツ人建築家である(『日本美の再発見』(岩波新書))。1880(明治13)年に東プロイセンケーニヒスベルグに生まれたタウトは、建築学校を卒業後、1910(明治43)年、ベルリンに設計事務所を開いた。他の建築家と共同で、様々な集合住宅の開発と設計に携わったが、その中の一つ、ベルリンのモダニズム集合住宅群は、2008(平成20)年にユネスコの世界文化遺産に登録されている。

ナチスがドイツの政権を取った頃、タウトは社会主義思想があるとみなされて身の危険を感じ、国外へ脱出する。そして1933(昭和8)年、日本インターナショナル建築会からの招待を機に来日し、約3年半日本に滞在した。その間、建築の仕事からは遠ざかったが、竹や和紙、漆塗りなど、日本の素材を生かした家具や内装など、様々な室内装飾を手がけた。

タウトの桂離宮「発見」

タウトが来日の翌日に訪れたのが桂離宮であった。一瞬でその美しさに打たれ、後にタウトはその感動を『永遠なるもの』に記した。桂離宮は「機能的、合理的であり、精神的」で、それらの要素が豊かに再現された建造物として「まことにひとつの偉大な奇跡である」と述べた。そしてその精神性について、松琴亭での経験を熱く語った。(『画帖 桂離宮』より)

私たちはこの部屋の縁端に腰をおろした。するとそこから、陽光の中にきらめいている先刻の小瀑が見えた。落ちる水の音さえ聞こえてくる。私は部屋のなかを顧みて、向かいの床の間を驚きの眼をもって、やや暫く、眺めざるを得なかった。床の間にも、二の間との堺の襖にも、青白二色の真四角な奉書紙が市松模様に貼付けてある。このような意匠は、私がこれまでかつて見たことのないものである。ほかのところだったらたまらない悪趣味に堕するだろうと思われるものが、ここでははっきりした意味をもっているのだ。———この一見異様な意匠は、ここから見えかつ聞こえるあの小瀑の水の反射を意味しているのだ。

タウトが発見したように、簡素でありながら高い精神性を含有する桂離宮には、和の伝統美が凝縮されている。その意味で、智仁親王と智忠親王が日本の粋を集めて造営した、まさに奇跡の建造物であるであると言えるのかもしれない。

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