隅田川 水上バス

異人たちの足跡 22 エメ・アンベール

東京の東には隅田川をはじめとする大きな川が三つ、東京湾に注いでいる。JRや地下鉄のみで都内を移動する人は、これほど多くの橋が街をつないでいることに気がつかないかもしれない。水上バスに乗って東京を水辺から眺めてみたら、東京がいかに水の豊かな都市であるか、あらためて気づくことだろう。

エメ・アンベール

150年前、スイス使節一行が10ヶ月間日本に滞在して、東京と横浜を詳細に観察した。団長の名前はエメ・アンベール(Aimé Humbert)。1819(文政2)年、スイスのヌーシャテル地方で生まれたアンベールは、スイス使節団長として来日し、紆余曲折の後に、日瑞修好通商条約を締結した。1863(文久3)年4月9日に長崎に到着したアンベールは、その後、開港地横浜を目指す。

日本滞在中のアンベールは、日本文化と日本人の生活習慣を調査し、熱心に情報収集に務めた。当時、外国人の遊歩は厳しく制限されていたため、アンベールが歩いたのは横浜近郊と東京の一部に限られる。しかし、アンベールはイタリア系イギリス人の写真家、フェリーチェ・ベアトを雇い、画家のチャールズ・ワーグマンに記録画を描かせるなどして、江戸時代末期の日本の暮らしを克明に調査、記録した。それらの資料をまとめたものが、1870(明治3)年パリのアシェット社から出版されたフランス語版Le Japon Illustré(日本語版は『幕末日本図絵』)である。全2巻、856ページ、62章、476枚の写真とイラストによる壮大な記録集は、英語版とロシア語版の翻訳が知られているが、いずれも全訳には至らず、抄訳である。

水上バスで東京観光

東京水辺ラインが運営する水上バス、浅草・お台場クルーズは、150年前のアンベールの足取とほぼ同じルートをたどる。それを追体験するため、浅草寺の裏手、二天門から乗船して、浜離宮恩賜庭園まで水上バスに乗ってみた。浅草から東京スカイツリーに見送られて、船は両国橋、清洲橋、永代橋と、大きな橋の下をくぐり抜けて行く。天気がよければ、風を切って進む水上バスは実に爽快だ。隅田川をどんどん下流に進み、高層マンションの立つ佃島を左手に、前方はレインボーブリッジの悠々とした景色が迫る。やがて右手には築地市場と浜離宮恩賜庭園が見えて来る。浜離宮で降りる場合は、予め入場券の含まれたチケットを購入しておく必要がある。エネルギッシュな浅草から、船に揺られて45分、静かな浜離宮の船着き場に到着すれば、心も体もすっかりリフレッシュしているだろう。見事な日本庭園の緑の中を散策した後、中島の御茶屋でお抹茶を頂き、最後は大名気分を楽しんでみた。

150年前の隅田川クルーズ

アンベールが乗った船は、広重や北斎の浮世絵に描かれているような屋形船だったようだ。船頭の漕ぐ船に揺られて、アンベール一行は、のんびりと江戸を遊覧したことだろう。Le Japon Illustréにはこんな記述が見られる。

大川(隅田川)は江戸における交通の主幹である。・・・永代橋両岸では、子供たちが走り回り、橋の上や広場で、人が通っていようがいまいが、交通の邪魔になることなど一切お構いなしで、群れをなして遊んでいる。・・・両国橋は、夜の享楽の中心である。本所と浅草を結ぶこの橋の近くで、・・・夏の夜、美しい花火が打ち上がる。提灯を掲げた屋形船があちらこちらに浮かんで、三味線や謡のにぎやかな響きが聞こえて来る。・・・一般に、江戸では市民が実に良く秩序を保っている。ヨーロッパの都市では、警察が力を注いでいるにも関わらず、このように秩序を保つことは難しい。

アンベールの観察眼はすばらしい。今日、我々は時代劇や映画を通じて、昔の光景を目にすることができるが、アンベールの記述はそれを裏付ける貴重な資料である。今では隅田川の風景は一変してしまったものの、それでも、船上から見た東京(江戸)の景色には、当時の面影が残っているように見える。水上バスに乗って、いつもと違うアングルから、あなただけの東京を発見してみてはいかがだろうか?

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