1927(昭和2)年10月29日、横浜港に降り立ったスイス人シェフ、サリー・ワイル(Saly Weil)は、新築されたばかりの真新しいホテルを見つめた。間もなく彼は、このホテルで日本の西洋料理界に革命を起こし、西洋料理を日本の新文化として根付かせることになる。ホテル・ニューグランドのThe Caféには、ワイルが生み出した往時のメニューが残っている。彼が活気溢れるヨコハマの料理王だったころ、その時代の一品を、今もホテル・ニューグランドのThe Caféで味わうことができる。
The Café
テーブルは常に満席である。特に週末ともなれば、店の外に溢れ出すほどの行列ができる。予約していなければ1時間以上待つこともある。通りの向こうには山下公園、氷川丸、そしてベイエリアの遠景。それを楽しみながら食事をするには、窓際の席をリクエストしておきたい。アラカルトは、クラブミートコロッケやハンバーグ・ステーキ、シーフード・ドリアなど、2000円前後で食べられる。セットメニューは3000円弱。そしてこの中に、85年前にワイルが考案して以来、日本全国に広まった料理がある。
シーフード・ドリア
なんだ、と思った向きが多いと思う。今では日本中、どこのレストランでも定番になってしまった料理である。しかし、日本で初めてドリアを作ったのはワイルであり、それは当時の新作料理だった。ワイルは『コック長はメニュー外のいかなる料理にもご用命に応じます』とメニューに書いて、常々、客のリクエストに応じていた。その日、ワイルは体調を崩した客のリクエストに応えて、食べやすくて栄養のある物を作った。それは濃厚で温かく、シーフードの味がまろやかに引き立つ一品だった。高級バターで炒めたライスに、エビとホタテがゴロゴロと入ったホワイトクリームがかけてある。さて、ワイルの一品を食べたその客は、すぐに体調も快復し、満足の言葉を残したという。以来その一皿は、shrimp doria(芝海老とご飯の海将風)と命名され、レストランのア・ラ・カルトメニューとして提供されるようになった。
ハンバーグ・ステーキ
ワイルは自分の味や技、アイディアを秘匿することなく、弟子たちにも、すべてのレシピを教えていた。ワイルの数種類のハンバーグ・ステーキのうちの一つは、今もThe Caféに健在である。一人前、100gのひき肉をしっかりとこねて、1.5cmの厚さに伸ばし、グリルしてデミグラスソースをかける。盛り合わせは固茹での野菜のみ。ワイル自身もかなり気に入っていたようで、メニューにシェフのおすすめと書いていた。
横浜で最も横浜らしい場所にあるレストラン、The Café。港の景色を見ながら、伝統の味をお試しあれ。