福井県北部、坂井平野のほぼ中央に位置する「あわら温泉」は福井随一の温泉郷である。
2004年、芦原町と金津町が合併してあわら市になったのを機に、芦原温泉は「あわら温泉」とひらがな表記されることとなった。
あわら温泉の開湯は比較的新しい。
明治16年(1883年)、芦原湿地の灌漑工事中に温泉が湧き出た。
温泉湧出と時期をほぼ同じくして、鉄道が敦賀から福井・小松まで延伸整備されるやリゾート温泉地としてこのあわらは一躍人気を集めるようになった。
元より一帯は田畑が広がる平坦な地域である。
歴史が浅いこともあって温泉街の周囲には取り立てて見るべきものはない。
かといって、湯治場というわけでもない。
その平々坦々たる地勢だからこそ、芦原は行楽地としての温泉の魅力を前面に打ち出した。
趣のある部屋、風情のある和風庭園。
それらの造営には京都の職人を呼んで当たらせたという。
だから、今日、あわら温泉には見事が庭園を持つ老舗旅館が少なくない。
京阪神からの旅行客は、旅館に入ると、美しい庭の見える部屋に通される。
やおら素晴らしい泉質の温泉に入浴。
夕べの宴席はといえば、三国湊に上がる新鮮な魚介類、坂井平野や奥越大野勝山産の滋味豊かな地野菜を用いた料理、そして名水の地であり米どころ福井の地酒。
旅の客が求める最高のものをあわら温泉は供することができた。
それを以て、目も舌も肥えた関西からの客を唸らせ虜にできたからこそ、「関西の奥座敷」という賛辞を勝ちえたと言えようか。
さて、そのような馳走と美酒の宴席では、京都祇園に負けるとも劣らずの芸妓衆が座を盛り上げる。
関東では芸者と呼ぶが、関西は芸妓だ。
芸妓には大まかに立方と地方との2種がある。
立方(たちかた)とは舞踊を主にする者で、地方(じかた)は長唄や清元などの唄、語りや三味線や鳴物の演奏をうけもつ者である。
もてなしの心篤い芸妓との愉しいひと時に、宿泊客たちは酔いしれ、日常の垢も落とし、憂さも晴らし、身も心もぽかぽかで旅路の帰途についたことだったろう。
最盛期には250名の芸妓衆があわら温泉を支えたという。
だが時代は変わった。
数十名単位の豪勢な社員旅行はすっかり影を潜め、こんにち、主流は数人の友人や家族旅行である。
また、かつて、世代から世代へと受け継がれたお座敷遊び・芸妓遊びも、いつの間にやらぷっつりと途切れてしまった。
宴席を彩るのも当世はコンパニオン全盛である。
芸妓との風流で深い会話が楽しめる粋な客が減ったこともあるだろう。
あらゆるものの継承が途切れて久しい今日この頃。
やはり、百聞は一見に如かずであった。
芸妓を間近で見るというのが、あわら「復興」のA to Z なのだと再認識させられたのは、2013年11月から始まった「芦原芸妓 in セントピアあわら」というイベントである。
あわら温泉街の中央にある公衆温泉浴場「セントピアあわら」の和室を舞台に、芸妓衆が唄い舞う。
20分ほどの短い時間であるが、初めて芸妓を間近で見ることができる絶好の機会だ。観賞料は500円と破格。
あわら芸妓のお一人、糸扇家まどかさんは言う。
「あわら温泉ににぎわいを取り戻したいんです。
芸妓の唄や舞いやお座敷遊びを若いお客様にも親しんで、日本の伝統芸能の素晴らしさを楽しんでほしい。
あわら温泉には、リゾートに求めるすべてがありますから。」
宴席に芸妓を呼ぶには、旅館の女将さんに頼むのが良い。
旅館にもよるが花代の相場は一人16,000円前後だ。これならコンパニオンの花代と変わらない。
ちなみに関東ではその料金のことを玉代(ぎょくだい)という。
芸妓を指名することもできる。特段指名料はかからない。
近所のお姉さんと会話するようなコンパニオン遊びもいい。
だが、はるかに風流で粋な芸妓との宴、これは超の二乗のつくお薦めである。