函館・元町地区

北海道で江戸時代後期を垣間見る

1854年、ペリー提督と彼の艦隊が世界から取り残されていた日本の門をこじ開けたとき、それは徳川幕府の終わりを最終的に告げる大きなイベントだった。200年に及ぶ鎖国時代が終わり、日本が世界的ステージで新しい役割をゆっくりと担うため、まず最初に3つの港でのみ外国船の入港が許された。その一つが函館だった。函館の元町は、その時都市の政治と文化の中心だった。そしてその後の数年で貿易と新しい国際交流が始まり、この地域は外国人との交流の場、大使館、領事館、宗教的建物である教会などと次々と建つ建築物であふれた。

この地域は今、日本の歴史の中で非常に重要な建築物を保持している。そして日本の寺院や神社と肩を並べるように存在する多くのユニークな国際影響を受けた建築物であふれ、150年経った今も旅行者にとって特別な場所になっている。

私はこの春この美しい街に息子を連れて行った。函館駅からスタートして路面電車(200円)で山に向かって行き、山の麓の十字街駅で降りた。元町はサンフランシスコに似て非常に坂道が多いので、そこに向かう前に私たちは、路面電車駅の反対側にあるヨシダスープカレーの店に立ち寄る。ここのスープカレーは私がこれまで食べた函館名物でホントに最高のスープカレーだ。お腹もいっぱいになり香辛料が効いてエネルギーを回復した私たちは、第三坂に向かった。この坂は広くておしゃれに敷き詰められた石の道で(リストによれば)日本で美しい100の通りの中の一つだそうだ。坂の頂上から、アンカーを下ろしているヨット群とゆらゆら揺れている釣り船がみどりの島と湾にある素晴らしい眺めが見下ろせる。目を細めて見てしかも幸運であれば、日本で初めてのコンクリート製電柱が見られるかもしれませんよ!良いことはこの街への訪問が自慢出来ること。

私たちは景色に背を向けて元町を歩き始める。道は狭くなり下に見える街の騒音が消えると、完全に自分がその時代に逆戻りした感じがした:右には大きなお寺があり、左には印象的なロシア正教会の建物が、その先の角を曲がった所には米国聖公会の尖塔が見える。これらすべての教会では現在もまだ礼拝が行われている。イギリス大使館のみ今は美味しいスコーンが食べられるティーハウスになっている。

このような歴史的散歩は5歳の息子にはつまらなかったようなので、お寺からちょっと歩いたところにある元町公園に急いだ。(名ばかりの動物園は避けて)そこで私たちはちょっとフットボールのような遊びをし、私はまったく上手にできない自分のゲームに恐怖と誇りの混じった感覚を思い知らされた。2、3時間後、私たちは丘を下って戻る道で再び古い英国大使館の前を通ったので、日本で最初の経験をこの函館で、しかもこの元町で得たということに、いったい何人の外国人が幸運と思えるのかと考えざるを得なかった。

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