那須 殺生石

九尾の狐の物語

那須連山の主峰・茶臼岳(1915m)の麓に、亜硫酸ガスやヒ素などの猛毒を吐く岩がある。その岩は、賽の河原のその奥で、長年、生きとし生けるすべての命を滅ぼしてきた。そのためいつしか人は、その岩を殺生石(せっしょうせき)と呼ぶようになったという。松尾芭蕉は1689(元禄2)年にこの地を訪れ、『蝶蜘蛛のたぐひ真砂の色の見えぬ程にかさなり死す』と記し、次の句を詠んだ。

『石の香や 夏草赤く 露あつし』

このことから、当時は殺生石の放つ毒ばかりでなく、この辺り一帯の火山活動も活発だったことが想像できる。

ところで、殺生石の物語は、能や浄瑠璃、歌舞伎などの古典芸能の題材として、現代まで繰り返し語られている。殺生石の物語には複数のバリエーションがあるようだが、今回はその概略をご紹介したい。

古代中国と天竺にて

紀元前1000年頃、中国は殷の王朝に、邪悪な狐の化身が現れた。狐は見目麗しい婦人となって皇后の座につき、皇帝をたぶらかした。やがて政治は混乱し、殷の国は滅亡した。狐はその後、天竺に渡り、班足太子(はんぞくたいし)の妃、華陽(かよう)夫人となって王子をそそのかし、1000人の人民の首を刎ねさせた。ところが家臣の一人に正体を見破られたため、華陽夫人は狐の姿になって突如インドから姿を消した。753(天平勝宝5)年、狐は少女に姿をかえて、日本に帰る遣唐使船に潜り込んだ。その船は偶然にも、唐の高僧・鑑真とその弟子たちが、6度目の渡日を目指して乗船していた船だった。

日本にて

幸い、遣唐使船が無事に太宰府に到着すると、狐も日本の地を踏んだ。狐は息をひそめて機会をうかがった。そして360年後、かわいらしい赤子に化けて、誰かに拾われるのを待っていると、子供のない夫婦が赤子を見つけた。夫婦は、深い愛情を注いでその子を育てた。狐の化身は美しい娘に成長し、周囲から才色兼備と讃えられるようになった。そして18歳で御所に上がり、玉藻の前(たまものまえ)と名のって鳥羽院近くに仕えた。玉藻の前は、すぐに鳥羽院の寵愛を受けるようになった。だが、そのころから、なぜか鳥羽院は体調の不良を訴えるようになる。鳥羽院の容態は徐々に悪化し、侍医たちは原因不明の大病に手をこまねいた。ただ一人、陰陽師の安倍泰成が、鳥羽院に取り憑いた狐の霊に気づいた。泰成の追求によって、ついに玉藻の前は、邪悪な狐の姿を現した。狐は鳥羽院を抹殺して、国家を転覆させようともくろんでいたのである。泰成と狐の熾烈な戦いが始まった。互いの力の限りを尽くした死闘の末、泰成が最後の真言を唱えると、玉藻の前は、とうとう九つに割れた尻尾を表して、京の都から逃れ去った。

それからしばらくの間は、平穏な日々が続いた。ところが、那須の辺りで若い婦女子が次々にさらわれているという事件が起きた。これを聞いた朝廷は、例の狐の仕業だと気づき、狐退治の勅命を下して、8万の兵を那須に送った。狐は九つの尾を巧みに使って激しく抵抗したが、ついに朝廷軍は狐を追いつめた。そして、朝廷が神から授かった一本の矢が、九尾の狐を射止めた。ところが狐は、たちまち巨大な毒岩に姿を変えて、岩に近寄る人や動物たちの命を奪った。結局その岩の周囲では、鳥も昆虫も、植物さえもが死に絶えた。

猛毒を放つ岩

猛毒を発する岩、殺生石を教化しようと、その後、多くの僧が那須を訪れた。ところが、みなことごとく失敗し、尊い命が失われた。そこに名僧・源翁和尚(げんのうおしょう)が現れた。源翁和尚は那須湯本温泉の湯で身を清め、精進潔斎して、殺生石との戦いに臨んだ。和尚は岩に迫りながら、一心に大乗経を唱えた。すると岩から一筋の白煙が立ち上り、玉藻の前が姿を現した。それでも源翁和尚は読経を続け、さらに殺生石に近づいた。すると玉藻の前の姿は霞となって消え、岩は三つに割れて飛び散った。その一つがここに残り、いまだに猛毒を発し続けているのだという。

その後の物語

殺生石は1000年もの間、毒を放ち続けているが、それを見ようとする人の波は、今日まで絶えることがない。猛毒の危険も顧みず、人々の好奇心は留まるところを知らないようだ。1336(延元元)年、ある青年が友達とともに、殺生石を見ようと那須にやってきた。青年の名は経伝(きょうでん)。奥州白川あたりにあるお寺の僧侶だった。彼は、出がけに母の用意してくれた朝食の膳を蹴り散らし、悪態をついた。経伝が賽の河原を歩いていると、にわかに空がかき曇り、大地が揺れ始めた。友達は逃げてしまったが、経伝は身動きすることもできなかった。彼の悲惨な末路はこちらから。

殺生石を見に行くなら、まずは那須湯本の温泉に浸かって、身も心も清めておこう。さもないと、経伝のように殺生石の毒気にやられてしまうかも・・・!?

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