京阪の墨染駅で降りて、横の踏切を越えます、疏水にかかる橋に墨染の文字を見ることができます。
やがて左にお寺、墨染桜寺があります。
中に入ると、日蓮宗日蓮さんの銅像が正面左におられるのが見えます。
境内には、桜の木が、墨染の由来になった桜です。
「深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染に咲け」
平安時代前期、初の関白となった藤原基経が亡くなったのを悼み、歌人上野岑雄(かむつけのみねお)が詠んだ和歌で、(桜の花に心があるのなら、せめて今年ばかりは墨染色に咲いてほしい)という気持ちが込もっています。
人を思う心が通じたのか、桜が墨染色に咲いたため、一帯は「墨染」と呼ばれるようになった、と 伝わっています。
咲き始めは白い色で、薄墨のように見える品種、「薄墨桜」。歌に詠まれた桜から数えて三~四代目が境内にあるそうです。ソメイヨシノより開花が一週間ほど遅く、時間と共にピンク色が増すと言われています。
同寺には、岑雄が詠んだ当時の墨染桜とされる寺宝の古木が伝わっています。現存するのは根元付近だけですが、木肌はでこぼこしていて磨かれたようなつやがあり、年月がたっていることを感じさせてくれます。言い伝えに関係する数少ない物証であるため、木の台座に載せて床の間に大切に飾ってあります。
もともと和歌が詠まれた付近には、九世紀に創建された貞観寺がありました。
同寺はその後荒廃しましたが、墨染桜の逸話を知った豊臣秀吉が、姉の瑞竜尼が帰依していた日秀上人に土地を寄進し、同上人が十六世紀末、再興させたのが現在の墨染寺だったのだそうです。再興後、本堂に「桜寺」の額を掲げたことから、こちらの通称名の方が一般に知られるようになったと伝わっています。
歌舞伎の演目に取り上げられていることからもわかるように、歌舞伎役者の方がお参りに来られるとのこと。近くの藤森神社などと一緒に廻られては如何」でしょうか。桜の色一つに物語を乗せる心を、桜の花の季節の気ぜわしさに忘れそうになる時、思い出せるといいですね。