徳島の鳴門といえば、巨大なうず潮と新鮮なシーフードで有名だ。しかしこの土地がドイツに深い関わりがあることを知っている人はあまりいないに違いない。実は1917年から1920年にかけて、第一次世界大戦によるドイツ人俘虜たちが、鳴門の板東の地で 3 年間過ごしたのだ。これだけなら驚くにあたらないが、なんと彼ら、幸せに暮らしたというではないか!? 俘虜たちは地元の人々と親しく交わり、自らの手でビールを醸造し、家畜を育て、ソーセージやハムを作り、パンを焼く傍ら楽団を結成して、優雅にクラシック音楽を奏でていたらしい。鳴門ドイツ館はこうしたドイツ人俘虜たちと地元の人々との交流を記念し、1972年に設立された。この心温まる実話は2006年映画にもなった。「バルトの楽園」だ。この題名、直訳すれば「髭面の男達の音楽の楽園」という意味だ。鳴門ドイツ館では、この交友の歴史と映画について共に学べる。「バルトの楽園」ファンには必見のスポットだ!
徳島: 鳴門ドイツ館
ドイツ人俘虜との友好の歴史を学ぼう!

Takako Sakamotoによって
コミュニティライター

鳴門ドイツ館

風に靡くドイツ、日本、鳴門市の旗

目を閉じて指揮棒を振るベートーベンの銅像。ドイツ人俘虜により結成されたクラシック楽団が、日本で初めてこの地でベートーベンの第九交響曲を演奏した。これが日本中で第九が演奏される契機となった!

鳴門ドイツ館は「第九の里」と呼ばれる道の駅の中にある

駐車場から見る鳴門ドイツ館

鳴門ドイツ館の玄関前ではドイツ食品を売るスタンドが出ていた

鳴門市の姉妹都市、ドイツのリューネブルクから寄贈された「ザルツ・ザウ」と呼ばれる塩猪?! 製塩で有名なリューネブルクで塩が発見された起因となった猪らしい。この塩猪は同市の富の象徴だとか。鳴門とリューネブルク、両市の風景が描かれている

板東俘虜収容所の所長、松江豊寿は、赤十字条約の精神の下 (ジュネーブ条約)この収容所を運営した。松江所長の支援により、クラシック音楽コンサート、芝居等、ドイツ人俘虜たちは様々なイベントを催した。イベントでは赤十字の旗が翻っていたという
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