日本の近代化の風の吹く明治時代、熊本県荒尾市万田坑は石炭エネルギーの供給源として産業革命に大きく貢献した。石油・原子力へのエネルギー転換、安価の輸入炭の影響を受けて1997年に閉山となるも当時の建物や機械は風化を免れ保存状態も良好で、100年前の工業技術を見学できる。2015年に「明治日本の産業革命遺産、製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界文化遺産への登録され、再び脚光を浴びることとなった。
見学はグループ毎のボランティアのガイド付きツアーで行われる。知識豊富なガイドが政治的な背景を始め炭鉱のオペレーション、各建物、機械の仕組みなどを説明してくださる。炭鉱口に作られたエレベーターは炭鉱夫達を載せ1分で深さ294メートルまで降下したという、見どころの一つだ。炭鉱夫達はそこから横に伸びたトンネルにすすみ数時間作業を行う。そのエレベーターを動かす機械の仕組みは竪坑巻揚機室で説明してもらえる。そこでは当時の安全運転の仕組みや、記録の方法など先人の知恵を見学できる。大きなワイヤーには柄杓で潤滑油を掛けていたというのも原始的な作業で面白い。
最近ではあまり馴染みのない炭鉱夫の話も大変興味深い。1日8時間労働の3交代制、作業を始める前にはマッチ、タバコの類がないか厳しくチェックされたという。高温下での作業でのどが渇くため、4~5リットルのお茶を携えて仕事に臨む。作業を終えた炭鉱夫の顔は真っ黒で誰だか見分けがつかない程で、風呂も1番、2番、3番湯があり洗濯も兼ね作業着のまま入るのが1番風呂、2番、3番風呂で体を洗うのだそうだ。高熱下での採掘は体力を消耗し、また常に危険と背中合わせの作業であった。浴場で喧嘩をして洗面器を投げつけたりする気の荒い人、炭鉱の底から事務所の女性に電話を入れて地上の天気や時間を聞いてばかりいた人など色々な人が集まってきた。炭鉱の傍には住宅があり、鉱夫の婦人達が働けるように近くには織物工場も作られ、当時炭鉱を見学に来たイギリス人達を驚かせたという。
ツアーは1時間程で終わるが、資料館などにも足を伸ばして理解を深めてみよう。安全性、技術、法令、福利厚生など歴史から学ぶことは多い。そして、今ではぽつねんと佇む炭鉱跡だが、かつてはここに多くの人が住みモノ・カネが流れ込みいかに活気にあふれてた場所だったかと想像に耽ることになるだろう。