福井県福井市の中心部にある北庄城址は小さな公苑として整備され、資料館も備えて往時の歴史に思いを馳せることができる。この北庄城は戦国時代の武将柴田勝家が築城したものである。天正三(1573)年、織田信長が加賀の一向一揆を平定した後に越前領を柴田勝家に統治させた。それを契機に勝家は北庄の地に築城を開始したのである。だが信長亡き後、彼の後継を巡り豊臣秀吉と対立した勝家は滋賀県の賤ヶ岳での合戦に大敗を喫する。北庄城に敗走するも秀吉に攻められ敢なく妻のお市の方と共に自害した。この城は戦国時代の夢の跡である。
福井「北庄(きたのしょう)城趾」
戦国武将柴田勝家の夢の跡

Shozo Fujiiによって
コミュニティライター
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柴田勝家が建てた「北庄城(きたのしょうじょう)」の復元模型。織田信長より越前支配を任された勝家が1575年頃に建てた。しかし1583年に賤ヶ岳の合戦で敗れた勝家とともにこの城も落城した
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城址公苑内にある勝家の銅像。勇壮な勝家の雰囲気がよく出ている
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お市の方は織田信長の妹で浅井長政に嫁ぎ一男三女をもうけた。その後勝家の元に三女と連れて嫁いできた。しかしその一年後、豊臣秀吉に攻められ勝家とともに自害した
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お市の方の娘たち。茶々、初、江(ごう)。両親が秀吉に攻められ自害すると彼女たち3人は秀吉の元に庇護された。茶々は秀吉の側室となり秀頼を生む。
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ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが本国宛の書簡で北庄城について「この城ははなはだ立派で、今、大きな工事をしており・・・城および他の家のやねがことごとく立派な石で葺いてあって・・・」述べている。
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柴田勝家を祀る柴田神社。北庄城公園内にある
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黄緑色のジャケットを着たボランティアガイドがきさくに説明をしてくれる
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資料館(手前)と柴田神社(向こう)
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柴田神社の礼拝には此処から臨む
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資料館2階。勝家にまつわる資料や解説が詳しい
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北庄城の当時の石垣が最近の発掘で地中から現れた。福井産の笏谷石である
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