京都一の歓楽街である祇園は花街として栄えてきた。南側と北側で町並みの大きな違いはない。本来、八坂神社の門前町として栄えてきたところであるが、南には京都競馬場外馬券売り場があってその界隈だけは独特な雰囲気である。北側は白川通沿いに延びる疎水ほ掘割川が透明な流れをたたえて、実に趣のある景観を擁しているのが特徴だろうか。南も北も路地には飲食店や茶屋が立ち並んでいるから、一見でも入れる店を物色するのには楽しいが、静かに街歩きを楽しみたいのなら辰巳大明神界隈でひと時を過ごすのが心地よい。運が良ければ参詣している舞妓はんに出会えるかも知れない。
京都祗園ぶらぶら歩き-2
祇園町北側

Shozo Fujiiによって
コミュニティライター

舞妓・芸妓さんたちが芸事の上達祈願に詣でる「辰巳大明神」。祇園町北側の中心的なランドマークだ

この四条通の向こう側が祇園町北側

この柳のたもとの道が新橋通。祇園町北側の北限である

新橋通を西に臨む。祇園地区は茶屋町として形成され、「祇園内六町」のうち新橋通りを中心とした東西約160メートル、南北約100メートルの範囲が保存地区である。建物は切妻造の二階建、平入で、1865年の大火直後に建てられたものだ。一階に格子をつけ、二階は座敷となり正面に縁を張り出して「すだれ」を掛けてある

新橋通。左手が祇園町。町屋の景観が素晴らしい。 街並みは、祇園新橋として伝統的建造物群保存地区に指定されており、その歴史はもともとは、今の八坂神社の門前町として平安中期頃から発展して鴨川東岸の大和大路沿いに八坂神社の参拝客や芝居客相手の茶屋町が作られるようになり、それらは「祇園外六町」と称された。1732年になると、幕府より正式な茶屋営業の許可が下り、新たに元吉町、橋本町、林下町、末吉町、清本町、富永町の「祇園内六町」が開発されることになった。現在の祇園新橋は、このうちの元吉町にあたる。そして、江戸時代末期から明治時代初期にかけて最盛期を迎え、江戸末期には500軒もの茶屋が祇園にひしめいていたという

町屋の間の細い路地。京都の町にはこのようなひっそりとした風景がいくつも広がっている

ドラマのロケによく使われる巽橋

巽橋の欄干

京都市内に引き入れられた琵琶湖疏水の堀。水の流れにかぶさる枝と夕日のきらめきが美しい

京都花街国民健康保険組合。ここはいろいろな芸事の教授場である

芸妓の立方地方に不可欠な日本舞踊や三味線華道などの稽古の場。そうそうたる教授陣の名前が連なっている

1781年現在の地で創業。初代「いづみや卯兵衛(うへえ)」の名をとって「いづう」となった。いづうの包装しには日本一の寿司をつくり続けていくという意思で、卯兵衛のうさぎと富士山、三保の松原の絵が施されている。海から遠く離れた京の都は、福井若狭産の鯖が貴重なタンパク源であった。傷みが速い鯖をより美味しく食するために編み出された調理技法が鯖寿司である
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