拘りを持つ、ということは何につけてもとても大切なことだ。特にお商売をするにあたってはそれが生命線になる。自分が敢えて供するモノやサービスに拘ることは自分の誇りでもある。
京都の店にはその拘りを感じるところが実に多い。近所のおじちゃん、おばちゃん相手だけの店だと、経営もダレて拘りも何もない。それで常連客が支えてくれているのならそれはそれで良いのだが、ときどき「客を舐めとるんちゃうかいな?!」というような店が福井では残念なことにちらほらと目につく。
店の構え(外装・内装、衛生)、食材と調理、器、酒などの品揃え、店員の気配り・気遣い、客層、客あしらい、料金とのバランス。どれが欠けていても客は不快・不満を感じるものだ。 この物差しをいつも持って私はレストランのドアを開けるのだが、京都で「う~~ん、残念!」という店は割合でいえば数十軒の内、1軒か2軒。ところが、東京でも福井でもどこでもこの割合は10軒行けば5軒はハズレに当たる。だから京都は凄いのである!隙がない、と感激するのだ。
弥生の宵は京都・柳馬場通にある「いなせや」へ。京丹波地鶏と京都伏見および周辺の酒蔵からセレクトした「無濾過原酒」の組み合わせの名店である。無濾過原酒だからアルコール度数が19度とか20度とかと日本酒としてはかなり高い。そして、同じ無濾過原酒でもそれぞれに香りも色も舌触りも違う。
あれやこれやとその違いを吟味しているうちに、とろりとろりと喉を滑り落ちていく心地よさに揺られて、知らぬ間にへべれけに酔っ払っていた。こういうこだわりを貫き通した店主は名誉の糖尿病と格闘しているとか。酔客としてここの拘りがたまらない。隙のいささかも無い秀逸の店である。