この「ハーモニーホール福井」、正式には「福井県立音楽堂」という。
「日本には3つ、素晴らしいコンサートホールがあります。
東京のサントリーホール、大阪のフェスティバルホール(旧)。
そして、福井のハーモニーホールです。」
と故岩城宏之氏に言わしめた。
音響的にも、デザインとしても、また座席の座り心地もすべてが見事なクラシックコンサートホールである。
福井だからこそできるのだが、私の指定席は最前列中央だ。
その席に決めるまで、私はこのホールのいろいろな場所の席で聞いてみた。
音の調和をいうなら断然二階席中央よりの席だ。
それこそとろけるような完璧なサウンドのハーモニーが聞こえてくる。
そのハーモニーが美ししすぎ、あまりに不自然に私には感じられ、ライブのわくわく感が私には湧いてこなかったので、最前列中央に戻ったという次第。
最前列中央の席からはステージ上のすべてが至近距離でくっきり見える。
クラシックコンサートとて、見る要素はとても多い。
ピアニストの指使い、チェリストの弓使いなどはもちろん、演奏者たちの顔の表情は見ていて飽きない。
聞こえる音についても、調和する前の音の粒立ちがすべて私の耳に届く。
ピアノのペダルを踏むかすかな「ピタッ」という音。
また、バイオリン奏者の弓の毛がほつれたとき彼らが毛をむしり取る「ぷつっ」という音。
あらゆる音がくっきりと鮮明に聞こえる。
ライブならではの楽しみの連続である。
東京のサントリーホールでは、こんな席はまず最初から売りに出されていない。
それは誰か特別な人たちのものだからである。
福井では、このホールの友の会に入会すると優先的に好きな席を先着順で手に入れることができる。
クラシック音楽ファンが絶対的に少ない福井ならではの幸運だ。
私はクラシック音楽、特に、オーケストラ演奏をライブで聴くのが好きだ。
弦楽四重奏などの室内楽やピアノソロもすばらしいが、いろいろな楽器が入り混じり、壮大な音の広がりが響き渡るオーケストラの迫力は格別である。
好きな音楽史的時代あるいは作曲家は、古典派・ロマン派を中心に、ベートーベンとチャイコフスキーが特に好きである。
彼らの音楽は数百年の時空を超えてなお現代でもみずみずしい。
時代のふるいにかけられ残ったものは、人類の遺産である。
甘美な旋律だけならムード音楽を求めればいい。
それは、ワインでいうなら、フルーティーで甘口の白ワインのようだ。
最初はおいしいが、すぐに飽き足らなくなる。
音楽もそれに似ている。
高度な演奏技術を修得しないとまず演奏ができない。
そして、その次に、ただ楽器を鳴らすのではなくて、歌う、ということが求められる。
聴衆の全神経を呼び覚ます。
音の洪水を聴衆の耳から入れ、血流に流して全身を駆け巡らす。
聞き手の全身の皮膚をざわめかせる。
クラシック音楽は、曲中に難解な不協和音構成、パッセージ構成という障壁があまたあるために、安易に聞く者を近寄らせないところがある。
だが、それは敷居が高い、というのではない。
クラシック音楽は特権的なのだ。
歌舞伎や能、狂言と同じで、ある約束事があり、それを理解した人のみが魂の底からの感動を味わえるのだろう。
古典芸術とはそういうエネルギーを秘めているものだと、私は思う。
そんな魂の揺さぶられ様は非日常的なことだが、だからこそ私たちの日常の中にちりばめる必要がある。
そんなわけで、私は、福井市今市にある「ハーモニーホール福井」へと出かけていくのである。
1997年に完成したこのホール、16年が経過してコンクリートも十分に乾燥し、残響が当初目指した理想にほぼ完璧に仕上がってきた。
忙殺される日常から離れてしばし音楽の幻想に浮遊するのは大切かもしれない。