かつて日本列島に未だ神々が住んでいた時代、スサノヲ(須佐之男命)は、姉のアマテラス(天照)を激怒させた。ちなみにスサノヲは海神、アマテラスは太陽神である。怒ったアマテラスは洞窟に引き籠ってしまい、世の中は永遠の闇に閉ざされた。これに驚いたのが他の神々だ。慌てふためいた彼等は会議を招集、無い知恵を絞り、いかにしてアマテラスをなだめすかし、必要とあらば騙してでも洞窟からおびき出すかを相談した。
喧々諤々の議論の末、アマテラスが籠る洞窟の前で偽の祭事を取り行うことにした。この洞窟が、いわゆる天岩戸(あまのいわと)だ。神々は踊り、音曲を奏で、ありとあらゆる楽しげな祭式を取り行った。自分の留守中、一体下界では何を楽しげに祝っているのだろうと好奇心に駆られたアマテラスは、つい岩戸の扉をちらっと開いてしまう。その瞬間眩いばかりの閃光がひらめき、アマテラスの目を眩ませた。これは、自分より強大な太陽神が出現したに違いない、そして自己の存在を脅かす、その新たな神の出現を皆がこぞって祝っているのだ、と焦ったアマテラス、勢いよく岩戸を飛び出してしまう。そこで彼女が発見したのは、いとも巧妙に地中に埋め込まれた自分の姿を映し出す鏡だった。神々が自分を騙すために考案したトリックだったのだ。そしてこの祭式すべてが、神々の企みだったのである。茫然自失するアマテラスの眼前で、神々は彼女の隠れ家である岩戸の扉を固く封印、こうして世界は永遠の闇から救われたのだ。
この天岩戸伝説は時代を超え現在も語り継がれている。この伝説については他の神道伝説同様、様々な本に記載があるが、身をもって体験してみたい方にお薦めなのが日向神楽だ。
有り難いことに福井では、毎年9月の第3土曜日にこの日向神楽が行われている。
日向神楽は1695年福井にもたらされた。日向延岡藩主(現在の宮崎県)だった有馬清純(ありまきよすみ)が丸岡藩に移封された際、共に携え伝承したのだ。日向延岡は天岩戸伝説発祥の地で、神道伝説の忠実な信者だった有馬清純は越前地方(福井)への移封に伴い、延岡藩で行われていた日向神楽をそっくりそのまま丸岡の地に持ち込んだのである。ちなみに現在この地域は丸岡町と呼ばれている。
かつて日向神楽は丸岡城近辺で行われていたが、歴史上の権力者交代や数々の事象により、現在は丸岡町の東に位置する長畝(のうね)村の八幡神社に居を移している。
村人たちの必死の鍛練と準備の末、9月の第3土曜の夜、丸岡の日向神楽は始まる。アマテラスの不在による永遠の闇に包まれた世界の様子が夜の暗闇により絶妙に表現される。日向神楽には24種類の舞があるが、そのうちおよそ半分は夜更け前に終了する。舞人たちが休息を取った後、日曜の午後に再び祭りは再開される。そこでは、太陽から降り注ぐ明るい日差しを祝い、楽しい雰囲気の中で祭りは終了する。
長畝(のうね)の日向神楽は、スケールこそ小さいものの、その歴史や装飾は濃密だ。色とりどりの衣装や木製の能面、数々の伝統的楽器などが天岩戸伝説を見事に再現していて必見だ。
長畝(のうね)の日向神楽
・9月第3土日開催
・土曜日: 日没~22時
・日曜日: 昼~15時