京都の西、嵯峨鳥居本は重要伝統的建造物群保存地区の一つである。愛宕神社の一の鳥居から清凉寺へと緩やかに下るおよそ600メートルの愛宕街道沿いは化野念仏寺辺りを境とした一の鳥居側の上地区と清凉寺側の下地区とに分かれる。この下地区には町家風の家屋が立ち並んでいる。洛中の京町家と似通った様相を呈しているが、嵯峨鳥居本の町屋の特徴は、二階天井が低く虫籠窓(むしこまど)を開く厨子二階(つしにかい)であり、表の京格子も太めで、庇も深い。主屋の間口は広く、内部は土間が広く設けてある。さらに田の字状に部屋が配された「四ツ間取り」と、農家の建築が基礎となっている。
京都・嵯峨鳥居本を歩く~2
町並み保存館から八体地蔵まで

Shozo Fujiiによって
コミュニティライター

嵯峨鳥居本は愛宕神社の一の鳥居辺りにできた門前町の地域名である。愛宕神社は比叡山延暦寺と並び称されてきた社で、嵯峨釈迦堂こと清凉寺から愛宕神社へと通じる道、愛宕街道を、江戸中期から明治時代、大正時代にかけてと多くの参詣者が愛宕山を目指して歩いた。一の鳥居から八体地蔵までのおよそ600メートルの範囲に江戸時代後期から明治時代にかけて建てられた家屋が緩やかな勾配の坂道に沿って立ち並んでいる

嵯峨鳥居本の町並みはその中間にある化野念仏寺辺りを境にして景観ががらっと変わる。市街地に近い下地区は瓦屋根の町屋風家屋が並び、一の鳥居に近い上地区には茅葺屋根の農家風家屋が多い

町家風家屋と農家風家屋が混在する嵯峨鳥居本の町並みは、元は農村だったものが愛宕神社の門前町として整って発展していった歴史的な流れを映し出したもので全国的にもとてもめずらしい

下地区に見られるこれらの町家風家屋は、町屋とは言え、洛中の京町屋とは異なる様相を呈している

嵯峨鳥居本の町屋は二階部分の天井が低く、虫籠窓(むしこまど)を開く厨子二階(つしにかい)である

内部は農家建築の間取りである田の字状に部屋が配された「四ツ間取り」である

土間が広く取られているなど、農家の建築をベースに建てられた町家風の建築である

表には京格子をはめてある。京町家に比べ、庇(ひさし)が深く格子も太めとなっている

京町家の様相を呈しているものの、京町家よりも主屋の間口が広い

手前にはたたむ事が可能な「ばったり床几(しょうぎ)」という商品の陳列棚が備えられている

荷物を運ぶ牛馬をつなぎ留めておく「駒寄」も備わっている
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