兵庫・妙見山黒川「澤田博之陶房」

美しい里山での陶芸体験と茶会

Shozo Fujii   2013/12/11によって

伊丹空港を脇に見ながら阪神高速11号線を北上し、県道477号線に降りてほんの十数分も走ると、妙見山(みょうけんざん)のふもとの渓谷に入る。

陶芸家、澤田博之氏を訪ねて、兵庫県川西市のはずれ、黒川字谷垣内という山間の静かな村に向かったのは初冬師走の穏やかな週末だった。 

澤田氏は陶芸家として四十年近いキャリアの中で数多の個展を全国で開いてこられた。

氏ほどのキャリアと知名度を有する陶芸家なれば陶房には凝った名称が付いているものだが、氏の陶房の表札にはただ「茶盌窯 妙見山黒川 博之」とあるだけである。

そのさり気無さに茶人としての奥ゆかしさを私は感じ入った。

陶房は庵という趣でいたって簡素である。

ゆるやかな細い坂を上ると玄関口で澤田氏自らが出迎えてくださった。

「澤田博之陶房」での陶芸教室では、参加者はまず最初は抹茶碗を作ることになっているのだという。

2回目以降は好きなものを拵えることができる。

氏ご自身茶の湯をたしなまれることから、制作する器は茶の湯に関わるものが多いと知った。

茶の湯、すなわち茶会を概観すると、食事と茶席がそこには在る。

食事は懐石であったり点心であったり。

となれば、料理を盛る食器、そして酒器。

そして要の茶碗。

茶室には花入れ、花瓶がある。香炉もある。

それら一切が制作の対象となるのである。

さて、今回は井戸茶碗を作る。

受講者が各々好きな場所に腰を下ろすと、にこやかな笑みをメガネの奥にたたえながら、陶芸、茶器を巡る歴史を先生は穏やかに語り始めた。

「今日は、井戸茶碗というものをお作りいただくのですけれども、井戸茶碗というのは昔の朝鮮、李朝の茶碗なんですね。

その井戸茶碗で最も名高いのが『喜左衛門』という茶碗です。

京都大徳寺孤蓬(こほう)庵の所蔵で、国宝に指定されています。

もしその『喜左衛門』が仮に売りに出されたとしたら十億の値でも買いたいと手を挙げる人は大勢いるでしょう。

『喜左衛門』をプラチナで作ったとしても十億まではしません。

『喜左衛門』は元はと言えば、昔の朝鮮の平民が平素の食事に用いていた普通の茶碗です。

それが利休を初め、多くの茶人、さらには茶をたしなんだ戦国武将たちになぜそれほどに愛でられたのか、それが『美』という概念の面白さなんでしょうね。」

器という日常の道具を自らの想いを込めて産み出す楽しさを、言葉を一つひとつ選びながら、先生は語りかけてくる。

完璧な美ならダイヤモンドなどの宝飾品であろう、と氏は続ける。

茶碗が持つ線のたわみ、釉薬の遊び。

不完全でありながら、えも言われぬ味を醸し出す器というものの美とは何であろうか。

 粘土を捏ねようと指を掛けた手が思わず止まり、私は先生の言葉が紡ぐ小宇宙にさ迷い出ていた。

心は遠く朝鮮の陶芸職人の庭に飛び、あるいは、安土桃山時代にひるがえり、かはたれ時の茶室にて井戸茶碗を両手で抱える出陣前の武将を想った。

井戸茶碗『喜左衛門』について柳宗悦は次のように述べている。

「いい茶碗だーだが何という平凡極まるものだ。」、私は即座にそう心に叫んだ。

平凡というのは「当たり前なもの」という意味である。

「世にも簡単な茶碗」、そういうより仕方がない。どこを捜すもおそらくこれ以上平易な器物はない。

 平々坦々たる姿である。何一つ飾りがあるわけではない。何一つ企みがあるわけではない。

尋常これに過ぎたものとてはない。凡々たる品物である。」(柳宗悦『茶と美』

つたない計算や無駄の力み、あるいは虚飾の一切を排した物に美の魂が宿るのかもしれない。

誰もが各々なりの美を持つが、普遍的な美というものは誰の目をも捉えて離さない。

繊細な心と情熱があれば人は丁寧に美を見つめることができるのだろう。

私に捏ねられるのを待つ粘土が形を変える前に、私は澤田先生の人となりの魅力に参っていた。

午前中の作業を中断して昼食時間となった。

先生自ら調理した点心を私たち客にふるまわれた。

大した料理人である。

食後作業再開。

一通り陶芸を終えると、先生が茶会を催した。

菓子鉢、銘々皿、茶碗など全ての器は先生作のものである。

陶房に会した一同が茶をすする。

ガラス窓越しに外を見やると、たなびく野焚きの白い煙が終わりかけの山の紅葉を薄く曇らせていた。

私の手にかかった井戸茶碗はどのような魅力をもって焼き上がってくるだろうか。

その日がたまらなく待ち遠しい。

釉薬の好みをあらかじめ先生の防備録ノートに書き記して残しておくことができる。ただしご注意あれ。先生は若い女性には細心の注意を払ってくれるが、男性のリクエストは結構忘れてしまう。だから、防備録に記した色指定とは全然違う色で仕上がってきても、あきらめが肝心である。

Shozo Fujiiさんによって書かれました。
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