霊験あらたか 長谷観音

シリーズ:懸造りの寺院建築 – 3

奈良県桜井市、初瀬の山里にひっそりと佇む長谷寺。京都市内からは、電車を乗り継いで約2時間、近鉄「長谷寺」駅から谷あいに下りて、初瀬川沿いを20分ほど歩き、さらに登廊(のぼりろう)という長い石段を登って、山の中腹にある本堂に至る。長谷の観音参りは、平安時代の京の貴族たちに大流行した。当時は、4-5日かけて京から初瀬まで歩き、数日参籠して引き返し、心願成就の暁には同じ道を歩いて、お礼参りをしたという。平安貴族がいかに厚く長谷寺を信仰していたかは、源氏物語や枕草子、更級日記などの古典で知ることができる。その長谷(初瀬、泊瀬)の観音参りの御利益を、源氏物語「玉鬘」の巻に見てみたい。

光源氏と夕顔

源氏の親友・頭中将(とうのちゅうじょう)と、側室の夕顔(ゆうがお)との間には娘が生まれたが、そのことに嫉妬した正室は夕顔を脅迫した。夕顔は身の危険を感じて、頭中将のもとから姿を消してしまう。そんな折、源氏は夕顔と出会い、文のやり取りを始める。市井の女とは思えぬ知性と、夕顔の優しい人柄に惹かれた源氏だったが、ひょんなことから、彼女が頭中将の側室であることを知る。それでも源氏は夕顔に求愛し、やがて二人は結ばれる。しかし、別れは突然にやってきた。夕顔は、逢瀬の日に、物の怪に取り憑かれて亡くなってしまうのである。

長谷寺での劇的な再会

かつて夕顔に仕えていた右近は、今は女房として源氏に出仕していた。右近は、源氏が夕顔を忘れられず、夕顔の残した娘・玉鬘の行方を探していることを知っていた。そこで、主人である源氏のために、霊験あらたかな長谷の観音に、京から何度も参詣していた。一方、頭中将の正室から隠れるため、九州に下っていた玉鬘は、美しい姫君に成長していた。そして九州の地方豪族から求愛されたものの、それを拒み、乳母とともに再び京に戻ってきたのである。しかし現実的には、頼りになる後ろ盾もなく、心細い暮らしをしていた。そこで乳母は玉鬘に、長谷観音への徒歩での参詣を勧めた。観音さまに願いを叶えてもらうためには、自分の足で歩いていかねばならない。普段歩くことなどない姫君である。玉鬘は長谷への長い道のりを、苦しみながら歩いた。足を引きずりながら、乳母に支えられながら、ひたすら初瀬を目指して歩くのであった。

そこで、奇跡が起こった。玉鬘と右近は、長谷観音参詣の道中、偶然にお互いを見つけたのである。右近の計らいで、源氏は愛しい夕顔の娘・玉鬘に会うことができた。源氏に引き取られた玉鬘は、太政大臣である源氏の養女として暮らしていくことが叶った。長谷寺の観音は力強く、慈悲深く、すべての者の願いを聞き届けたのである!

長谷の十一面観音立像

山門から399段の石段を上ると、長谷寺の本堂が現れる。その内陣には金色に輝く十一面観音が安置されており、通常は、石敷きの合の間から、観音像の尊顔を拝む。10mを越える観音の全体像は、特別拝観の時のみ、内陣に入って目にすることができる(ただし撮影は禁止)。

私が訪れたのは、ちょうど春の特別拝観の時だった。あまり信心深いほうではないが、観音さまの全体像を見たいと思ったので、内陣を拝観することにした。まず入り口で、お坊さんに、五色の糸を編んだ魔除のひもを手首に巻いてもらう。案内に従って暗い内陣を進んでいくと、観音さまの足下だけがぼんやりと見えた。参拝者は一列に並んで順番を待つ。そして、一人ずつ観音さまの足下にひざまずく。みんなゆっくりと時間をかけて祈っていた。私の順番になって、観音さまの至近距離に迫ったが、あまりに近すぎて、逆に全体を見ることはできなかった。それでも、観音さまへのご挨拶のつもりで、私もその足下にひざまずいた。そして指先が観音さまの足に触れた時、図らずも何かを感じたように思う。ああ、参拝してよかったと、自然にわき上がる満足感のようなものだと言ったらいいだろうか。このチャンスに長谷にお参りさせてもらったことに感謝した。

長谷の舞台

本堂の舞台は、京都・清水寺の舞台と同様の懸造り(かけづくり)構造をしている。崖にせり出すように広縁が伸びており、それをフレーム状の柱で支えているのだ(後述)。

早朝、本堂の礼堂(らいどう)から勤行の声が響く。長谷寺では、常時20人以上の若い修行僧が、寝食をともにしながら修行の日々を送っている。朝のお勤めが終わると、僧たちは舞台に出て一列に並び、朝日を遥拝する。舞台からは遠くの峰々が美しい稜線を描いている。一般参拝者はこの勤行を直接見ることはできないが、You Tube(JR東海のCM)で、その清々しい祈りの光景に触れることができる。

このシリーズについて

懸造り(かけづくり)とは、床下の柱の長さを調節して、建物内部を水平に保つ伝統的建築技法です。これは日本独自の様式であり、懸造りを用いて建てられたお堂は、全国各地の傾斜地や断崖などに数多く見られます。しかし何と言っても、京都清水寺の本堂が最もよく知られている例でしょう。このシリーズでは、全国にある懸造りの建物の中から、その姿とともに、建物から眺める景色も美しい5つのお堂を選び、ご紹介していきたいと思います。

1 京都・清水寺の舞台

2 京都・醍醐寺の如意輪堂

3 奈良・霊験あらたか 長谷観音

4 奈良・東大寺二月堂

5 千葉・笠森寺の観音堂

詳細情報

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