1981年に放映された某ビデオカセット(VHS)のCMで、氏が叫ばれた名フレーズ『芸術は爆発だ!』は、幼かった私に強烈な印象を与え、大人になった今でも鮮明に記憶に残っている。
南青山に位置する岡本太郎記念館は、芸術家・岡本太郎氏の正にメモリアル・ミュージアムである。こちらは氏が亡くなるまで実際に使われていたアトリエであり生活のスペースだった。
漫画家であった父・岡本一平と作家の肩書きを持つ自由奔放な母・かの子の元で育った太郎氏は、元々アーティストとしての洗礼を受けて生まれたのだと、氏のバイオグラフィーを読むにつけ、そう感じざるを得ない。サラブレッドとして育ち、アートの勉強のため渡仏。滞在中、著名なシュールレアリスト達との交流は芸術家を志していた氏にとって、大きな影響となったに違いない。
以前、テレビ番組で自伝的ドラマとして放映されていた『Taroの塔』は、氏の奔放で激情型の気質をいかにアートに転換していくか、またそれをいかに人に理解してもらうか、がテーマとなっていたような気がする。養女として氏をサポートしていた敏子氏の愛と尽力は大きく、太郎氏にとってかけがえのない存在=MUSEだったのだろうと、ドラマだけでなく文献やその功績からも伺える。
太郎氏の死後、敏子氏が亡くなるまでの9年間、彼女は太郎氏が遺した作品の公開に向けて全力投球した。中でも、メキシコシティで発見された『明日の神話』は、敏子氏による捜索と補修に尽力がなければ、渋谷駅で展示されている巨大壁画として、現在でも私達の目に触れる事はなかっただろう。
また、岡本太郎記念館の現在の姿も、強烈な個性と熱いパッションがありながら、ほんわかとした優しく柔らかな空気がこの記念館を包んでいるように感じられるのは、太郎氏と敏子氏の愛の賜物だからなのかもしれない。
庭に設置された、色鮮やかでプリミティブなオブジェの数々。ふと地面に目を向けると飛び込んでくる『坐ることを拒否する椅子』は、坐ってちょうだい!とシナを作る、モダンファニチャーに嫌気が差して作られたものだとか。しかも、心地よく居座るのではなく、すぐに次の行動へと移って欲しいという意図も込められたその椅子は、まさに岡本作品ならではの斬新で禅的な切り口だと感じさせられる。
他にも、庭のオブジェの中で私のお気に入りは太陽のオブジェ。冬に見てもそれは、金色に輝き、見る人を元気付けさせてくれる。思わず、友人と片方ずつの目に顔を入れて記念撮影してしまった。
エントランス左には物販のコーナーがあり、右側にはアトリエへ移動する細い廊下がある。室内オブジェがひしめく一室を眺めながら移動できるのが面白い。等身大の岡本太郎像に、年代を感じさせるテーブルには細工が施され、渋谷にある『こどもの城』に設置されたオブジェのミニチュア版が置かれていて、他にも沢山、宝探しが出来そうなほど何ともにぎやかだ。
通路奥、突き当たりにアトリエがあり、キャンバス作品が図書館に収められた本のようにびっしりと納められ、一つ一つをそーっと取り出して見てみたい気持ちになる。アトリエに置かれたオブジェも個性豊かで、大阪万博の『太陽の塔』でお馴染みの“あの顔”もそこで見る事が出来る。
2階スペースへ移動すると、シーズンごとに企画展が開催されている。現在は10月28日まで『岡本太郎・布と遊ぶ』をテーマに、作品が展示されているようだ。私がこれまで見てきた企画展で記憶に新しいのが、昨年の春先に行われていた『化け文字 ~書家・柿沼康二の挑戦状~』という太郎氏とのコラボレーション展である。
The日本!をイメージさせる真紅の部屋に、太郎氏の手による漢字一文字から現れる絵文字?化け文字?!が、額に入れられランダムに展示されていた。印象深かったのは壁の赤と墨の黒、そして丸められた書の山の中から聳え立つミニチュア-ルの太陽の塔。妖艶な雰囲気に捉われない、ダイナミックで切れ味のいい書の数々は、アヴァンギャルドで強い引力があった。
ここにくると、根源的な元気をもらえるような気がしている。それは、カオティックな渦の中に引き込まれ、生命としての原点回帰を余儀なくされるというか。人生の道に迷ったとき、悩みの中にあるときには、逆説的だがむしろ道を示してくれる場所なのかもしれない。
最後に、岡本太郎氏の名言をまとめた著書『壁を破る言葉』より‥
「芸術?そんなものはケトバシてやれ!そうすれば、キミが何を創ればいいか見えてくる。」
「全生命が瞬間にひらききること。それが爆発だ。」