天龍寺、大方丈からの眺め

開放感溢れる、天龍寺最大の建物から眺める

左手に法華経を持ち、右手に剣を持って座したまま亡くなったという武人のイメージが強い第96代後醍醐天皇。

"玉骨(ぎょこつ)は縦(たとい)南山の苔に埋まるとも 魂魄(こんぱく)は常に北闕の天を望まん" 「我が骨は吉野山の苔に埋まることになっても、我が魂は常に京の空を仰ぎ見続けるだろう」。鎌倉時代末期から二つの朝廷が並存した歪な南北朝時代。この激動の時代を生きた後醍醐天皇の最期の言葉だ。結局、最後に残った勝者は北朝でもなく南朝でもない!足利将軍家を中心とする強力な武家政治の支配機構だ。そして後醍醐天皇の鎮魂(菩提を弔う)の為に造営した天龍寺、その費用捻出に足利新政府は大変な無理を強いられている。苦肉の策で元冦以来途絶えていた元との貿易を再開し、その利益を造営費用に充てることを計画。これが「天龍寺船(朱印船)」の始まりだ。無念さが滲み出ているような後醍醐天皇の最期の言葉に、室町幕府の創始者足利尊氏もさすがに寝覚めが悪かったのかもしれない。

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