2014年11月22日洛北一乗寺にある詩仙堂を訪れた。
現在ここは詩仙堂と呼ばれているが、正しくは凹凸窠(おうとつか)であり、詩仙堂はその中の一室に過ぎない。
凹凸窠とは、でこぼこした土地に建てた住まいと言う意。
詩仙堂を造営した石川丈山、元々石川家は徳川家に仕えた譜代の臣であるが、その丈山も家康公に仕え、近侍となっていた時期がある。
そして同時に優れた作庭の手腕を持ち、桂離宮、枳穀邸(渉成園)の補修にも彼の手が加わっていたらしい。
詩仙堂の庭を眺めるに、その隅々にまで彼の思いが強く巡らされているように感じ、しばし山荘の紅葉に魅入った!