有田陶器市

最高の掘出し物を求めて、数多の露店を巡ろう

佐賀県西部にある有田は、1930年代の白壁の建物と、絵に描かれたような細い道が見られる小さな町。山々や森に囲まれ、人口はわずか2万人を超えるほどの静かで穏やかな地域だ。しかし毎年春になると、いつもの静寂はしばし破られる。町主催で大規模な有田陶器市が開かれ、1週間のあいだ、100万人にのぼる訪問客を呼び込むのだ。では正確にはどのようにして、有田は陶磁器の重要拠点となったのだろうか。

16世紀後半、日本の「偉大な統一者」である豊臣秀吉は、朝鮮侵攻によって権力増強を試みた。この作戦は成功に至らなかったものの、結果としては多くの朝鮮人が捕虜となり、強制的に日本に移住させられた人たちもいた。

李参平は、この時期に九州に連れてこられた朝鮮人で、熟練の陶工だった。彼は有田に定住し、この地の土が磁器を作るのに適していることを発見した。今では、彼は日本の磁器生産の創始者だと広く認められており、有田の陶山神社には彼を称える記念碑がある。

日本は江戸時代(1663~1886年)の間に鎖国をし、交易の相手は中国、朝鮮、オランダの3ヶ国のみに絞っていた。有田で製造された磁器は、オランダ東インド会社によりヨーロッパへと輸出され、17世紀から18世紀にかけて大変な人気を呼ぶようになった。

有田は日本の窯業の中心地であったが、輸出される磁器は、近くの港町である伊万里から出荷された。結果として、有田で製造された磁器は、伊万里焼として広く知られることとなった。伊万里焼は青と白の様式もよく見られるが、典型的な特徴として、コバルトブルーで染付され、上から金と赤で絵付けが施されている。

有田の窯では、17世紀から途切れることなく、陶磁器製造が行われている。1977年には、有田焼は日本の伝統工芸品として指定された。

有田陶器市では550を超える店が4kmもの大通りに軒を並べ、店という店が、有名な陶器をこれでもかというほど値引きして販売している。箸置きや小さな茶碗から、精巧に塗付けされた巨大な花瓶まで、何千もの商品が並べられている。価格はたったの100円から、上は何万円のものまである。

なんとか苦労しながら道を進んでいると、白い手袋をはめた人たちに気づくかもしれない。昔から、園芸などのアウトドア作業に使われている手袋だ。この手袋を販売している露店まであるが、これは家から持ってくるのを忘れた人たちのためだ。熱心な買い物客はこれをはめて、陶器の入った木箱を次から次に探し回る。その間、隠れた掘出し物を探りながら、埃や汚れをさっと拭き取れるようにしているのだ。

陶器が積まれたテーブルや人混みが永遠に続きそうで、若干圧倒されてしまった場合は、焼きそばやフライドチキン、かき氷など、お祭りらしい食べ物の屋台も色々ある。軽食やおつまみを買い、ただベンチに座り人間観察をしたりして一休みしてから、再び人混みの中へ飛び込もう。元気をまた取り戻したら、自分用の手袋を買いたいとまで思うかも!

有田陶器市は、毎年ゴールデンウィークに開催される。4月29日から5月5日まで。

秋にも、小さめの規模の市が開かれる。11月23日から27日まで。

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