岩船山は、一艘の船の形をした岩山である。遠望すれば、あたかも関東平野という海に浮かぶ舟のように見える。死者の魂はこの山に集まり、霊場である岩船山から、やがてあの世に帰ると信じられてきた。山頂にある高勝寺は、1200年以上も前（奈良時代後期）から土地の人々に信仰されてきた古寺で、今も関東一円から参拝者が集まる。
地蔵菩薩
高勝寺には無数の地蔵菩薩像が祀られている。現在では、子授け、安産、子育てにご利益があると言われているが、高勝寺縁起には、生身の地蔵伝説が残されている（後述）。
仁王門
1742（寛保2）年に造営された朱塗りの門は、やや特徴のある、素朴な顔立ちの仁王像に守られている。彫刻の技術が洗練されているとは言い難いものの、木立の中に突如として現れる堂々とした門と、二体の仁王像は迫力がある。栃木県には、日光東照宮の意匠に似通った建築が多い。西国から日光に東下して、東照宮建築に関わった大工や工匠たちが、帰途で出会った土地の職人に、その技術を伝えていたのかもしれない。
三重塔
高さ1９mの見事な三重塔は、1751（寛延4）年に造られた。当時、関東一円で流行していた岩舟節という念仏（踊り念仏の元となった）は、1941-42（昭和16-17）年頃まで行われていたようで、熱心な信者たちの力によって、このような荘厳な建築物が建立された。お彼岸の時期には、現在も多くの参拝者でにぎわう。
切立つ岩壁
岩山の最高地点は、標高約173mの岩壁上にある。頂上は、全面が切立つ岩壁に囲まれ、崖のすぐ近くまで、無数の地蔵菩薩像が点々と置かれている。山頂からの景観は大変にすばらしいが、くれぐれも足下にはご注意を！
高勝寺縁起
弘誓坊明願（ぐせいぼうみょうがん）は、鳥取県西部の伯耆大山（ほうきだいせん、伯耆富士とも呼ばれる1729mの火山）の僧で、日頃から生身の地蔵を拝みたいと願っていた。そしてある日、地蔵を求めて東国への旅に出かけ、岩船山にたどり着いた。日が沈む頃、山腹に草庵を見つけた明願は、一夜の宿を借りたいと頼んだところ、庵主の伊賀坊は快く止宿を許諾した。伊賀坊曰く、月の十八日と二十四日に山に登れば、生身の地蔵を拝むことができる。明願は喜び、その日まで草庵に世話になることにした。
ある日、一人の村人が伊賀坊を訪ねてきた。聞けば、明日の田植えを手伝ってほしいと言う。また別の村人が来て、屋根の葺き替えに手を貸してほしいと頼んだ。次に来た村人は、家の柱にする材木を削ってほしいと言った。さらにはまた別の村人が、明日、井戸掘りをするので手を貸してくれないかと依頼に来た。
伊賀坊は、すべての村人に「わかりました。行きましょう。」と答えた。それを聞いていた明願は訝しんだ。いくら何でも、すべての作業を引き受けるなんて無理がある。
翌朝、伊賀坊は草庵を出て仕事に出かけた。明願はこっそり伊賀坊の跡を付けたが、すぐに見失ってしまった。仕方なく、伊賀坊に手伝いを頼んだ村人の家を、一軒ずつ見に行ってみた。すると、伊賀坊はすべての家で一生懸命に働いていた。夜になって、伊賀坊は草庵に戻ってきた。明願は、伊賀坊が疲れ果てているだろうと思っていたが、元気な声で「それじゃあ、明日は早起きして生身の地蔵を見に行きましょう」と嬉しそうに言った。
夜も明けぬうちに、明願と伊賀坊は崖をよじ登り、頂上に着いた。ちょうどその時、朝日が昇り、小鳥のさえずりが聞こえた。明願は岩の上に座り、生身の地蔵を拝めるよう、一心に祈った。そしてついに、燦然たる光に包まれた地蔵菩薩が、明願の目の前に現れた。明願は喜びに震え、至福の時を過ごした。気がつくと、伊賀坊の姿はなく、明願は一人取り残されていた。法悦に浸っていた明願は、伊賀坊がいなくなったことに気がつかなかったのである。
所願成就した明願は、その後、伯耆国に帰った。翌年、明願は伊賀坊に会おうと、再び岩船を訪れた。ところが、伊賀坊のいた草庵を見つけることができない。村人に尋ねてみると、草庵のことも、伊賀坊のことも知らないと答える。落胆した明願が、かつて草庵のあった場所に戻ってみると、一体の地蔵菩薩像が立っていた。明願がよくよくその地蔵の顔を見てみると、それは伊賀坊にそっくりであった。そこで初めて、明願は伊賀坊こそが生身の地蔵だったことに気づいたのであった。
771（宝亀2）年、明願は岩船山の山頂に寺を開き、地蔵菩薩像を祀った。その後も明願は寺を守り、伊賀坊がしていたように、村人たちのために精一杯尽くした。それからというもの、人々の寄進により、寺の地蔵像の数は年々増え続けているということだ。
