栃木 大中寺

怪談!根なし藤の物語

栃木県の南端にある大中寺には、七つの不思議な伝承が残されている。それぞれ、寺域内の各所に説明の立て看板があり、簡略化したタイトルがついている。「根なし藤」、「油坂」、「不断のかまど」、「馬首の井戸」、「開かずの雪隠」、「東山の二つ拍子木」、そして「枕返しの間」である。私は小学生の頃、遠足でこの寺を訪れ、ご住職から七不思議の話を聞いた。どれも生々しい話で、遠足の開放感で興奮気味だった子供心に、その話は冷たい水のようにしみ込んで、小さな恐怖を残した。江戸時代に書かれた上田秋成の『雨月物語』に、大中寺の七不思議の一つ、「根なし藤」を題材にした『青頭巾』がある。

大中寺の史実

大中寺は、地方の農民や武士の信仰を集めていた曹洞宗寺院であったが、1612(慶長17)年、徳川治世の下で、曹洞宗を管轄する関三刹の一つとして、特権を与えられた。それより約120年前、1489(延徳元)年に、地方豪族の小山成長は、荒廃していた大中寺に、快庵妙慶を迎えて再興した。以後は、快庵により道林法席(仏法を学ぶ道場)と呼ばれるほど多くの学僧でにぎわい、発展したため、これをもって、実質的な創建とされる。

中興の祖となる快庵にまつわる物語、『青頭巾』とは、こんな話である。

『青頭巾』概要

昔、快庵禅師という徳の高い僧が、奥羽に向かう旅に出た。途中、そろそろ日が暮れようとしていたので、ある村に立ち寄った。夕闇の中、野良仕事から戻ってきた村人は、快庵を見ると、恐怖をあらわにして逃げ去っていく。不思議に思いながらも、一軒の大きな家の門を叩き、快庵は一夜の宿を請うた。すると、こん棒を持った主人が現れた。そこで快庵は言った。「私は見ての通り、旅の僧です。どうしてみな、そんなに私を恐れるのですか?」主人はこん棒を持ったまま、まじまじと快庵を見つめた。やがて主人は笑顔になり、非礼を詫びて快庵を招き入れた。

その夜、家の主人は、快庵に食事を振る舞った後、村で起きた恐ろしい出来事について語り始めた。

『この村の奥山にお寺がございます。学に秀でた僧が住持しておりましたが、昨春、越の国に行って戻ってきた際、身の回りの世話をさせる童子を伴っていました。僧は童子の美貌に心を奪われ、性愛の情を抱いて、日々の勤めを疎かにするようになりました。ところが今年四月、その童子が病に伏せり、僧は必死に看護を続けましたが、その甲斐もなく、童子はついに亡くなったのです。僧は屍を葬るどころか、童子の体に執着しました。やがてその肉をすすり、骨をしゃぶり、ついには食い尽くしてしまいました。そして僧は鬼になって人を襲い、墓を暴いて屍を食うようになりました。以来、村人は夕方になると戸を閉ざし、鬼になった僧を恐れるのです。』

話を聞いた快庵は、村人を哀れみ、僧を哀れんで言った。

『もし私が、鬼を説得して善に導き、人の心を取り戻させることができたなら、今宵のもてなしの恩返しになるでしょう。』

夕刻、快庵は寺を訪ね、一夜の宿を借りたいと願い出た。すると、痩せこけた僧が応答し、すぐに里へ出られよと警告した。さらには、この寺は凄まじく荒れ果て、良からぬことが起きるやも知れぬと付け加えた。しかし快庵は黙って座り、僧も重ねて快庵の願いを拒むことはなかった。

夜がふけ、子の刻になる頃、騒がしい音とともに、痩せこけた僧が快庵のいる部屋に入ってきた。何度も快庵の前を行きつ戻りつしながら、『くそ坊主、どこへ行った?確かにここにいたのに。』と大声を上げた。そして散々走り回った挙げ句、疲れ果てて倒れ込んだ。

夜が明けて朝日が現れると、僧は、昨夜の場所に快庵が座っているのを見つけて呆然とした。快庵は言った。『腹がすいているのなら、拙僧の肉を腹に収めてくだされ。』僧はしばらく快庵を見つめた後、力なく、『ああ、私は浅ましくも人の肉を食みますが、鬼畜の身となった私に、尊いあなたの姿が見えなかったのは道理です。』と言って頭を垂れた。快庵は、『私は、村人からあなたが鬼となって人を襲うようになったと聞き、仏道に励んでいた頃の、元のあなたに戻ってもらうために来たのです。あなたは私の教えを聞きますか?』と尋ねた。僧は答えた。『はい。私は、生き仏であるあなたの教えを受けます。』

そこで快庵は、僧の頭に自分のかぶっていた青い頭巾を被せ、証道の二句を授けた。『この場を去ることなく、この句を繰り返し唱えれば、やがてその意がわかるでしょう。その時、あなたはあなた本来の仏心に気づくでしょう。』

その後、二度と村人が鬼を見ることはなかった。一年後、快庵は同じ村を尋ねて、例の僧の消息を尋ねた。萩やススキが生い茂る寺の境内を進んでいくと、雑草の塊の中に、青い頭巾が見えた。青頭巾をのせた塊は、か細い声で、快庵の教えた証道の二句を唱えていた。快庵は、『何ゆえか?』と一喝して、禅杖でその塊を打ち据えた。すると、たちまち青頭巾と骨が崩れ落ち、草の上に散らばった。快庵は、僧の執着が消滅したことを見てとった。その後、村人は寺を掃き清め、修繕し、快庵を住職に呼んだ。快庵もそれに応じてよく勤め、寺は大いに繁栄した。

長い石の階段を踏みしめて杉木立の中を進むと、大中寺の山門が現れる。境内は明るく、草木もよく手入れが行き届いていた。本堂の奥に進むと墓地があり、石段の先に歴代住職の墓が並んでいる。「根なし藤」はその墓の先にあって、今も妖艶な花を咲かせていた。しかし、見たところ、地面にはしっかりと根が張っているようだった。

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