沖縄・ひめゆり平和祈念資料館

沖縄戦で見捨てられた学徒隊の資料館

日本は死者を弔うことを大切にする国である。死者に祈りをささげ、過去を懐柔することにより、生けるものと死者の魂を慰めるのだ。したがって、日本人にとって過去に思いをはせ、死者に祈りをささげるために記念館を建てるのはごく自然なことである。

日本には第二次世界大戦(日本では太平洋戦争とも呼ばれる)にまつわる博物館や記念館が多くあり、その多くは厳粛で感傷的な場所となっている。

沖縄のひめゆり平和祈念資料館もそのような場所のひとつである。この資料館は、沖縄戦で学徒として招集され看護活動にあたり死んでいった2つの女学校の学生と教師たち約190-220人に祈りをささげるために建てられた。沖縄の南の端、糸満市の沖縄平和公園からすぐの場所にある。

入り口で、ビジターは戦士たち特に戦死者たちに捧げられた大きな石碑に迎えられる。その石碑の隣にはひめゆりの女学生たちが戦火の中で隠れて負傷兵や死んでいく兵士たちを看病した洞窟が再現されている。

ひめゆり学徒たちが置かれた悲惨な状態でいかに生きようとしたかを詳細に知ることができるこの祈念館の入場料300円は非常にリーズナブルだと思う。

日本の博物館のすばらしさの1つは実物大の展示物が多いことだが、その意味でもひめゆり平和祈念資料館は期待を裏切らない。ひめゆりの学徒たちの生活の場であり仕事の場でもあった洞窟が再現され、医療機器がほとんどなく、休みもとれず長時間働き続けた極限の生活を強いられた彼女たちの生き様がよく分かる。

隣の部屋では映画が流れている。日本語によほど堪能でないと分かりにくいが、生存者のインタビューで映し出された彼らの姿と感情は、言葉を超えて見るものの心を激しく打つ。

資料館ではさらにセクションごとに少女たちの窮状が詳しく説明され、戦争の恐ろしさを改めて私たちに訴えてくる。ここで重要なのは、戦争末期、ひめゆりの看護婦たちは突然解散命令を告げられ、何の援護もなく自分たちだけの判断で生き延びるべく戦火の中にほうり出され、多くのものが悲惨な最期を遂げたことで、その話もここで聞くことができる。

最後の部屋では、死んでいったひめゆりの生徒たちの写真と名前が掲げられており、見る者にとって最もつらく悲しい場所だろう。実在した人物の姿はこの祈念館に魂を吹き込む。生き延びたもの、また死んでいったものの残した言葉を読むと、感情が大きく揺さぶられる。

資料館は美しい庭園で囲まれている。今ここで目にしたことに思いをはせ、同時に今の平和のありがたさを感じながら散歩をするのに最適な場所だ。

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Miwa Suna 12年前
資料館前には、竪穴式の防空壕がそのまま残されています。
こんなところでどのように生き延びろというのか!!
と驚かされると同時に、人間の愚かさを考えさせられます。

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