横浜に氷川丸を観に行こう!

山下公園に係留される、いにしえの大型貨客船

いまだかつて本物の貨客船に足を踏み入れたことがない人にとり、氷川丸訪問は特別の体験となるに違いない。12,000トン級の氷川丸は、正真正銘の貨客船なのだから。山下公園前に係留されているこの船、現在は一般に公開され観光客を楽しませている。是非乗船して船内を散策してみよう。絶対後悔しないはずだ!

博物館船として良く整備されている氷川丸、観光客は甲板を歩き、当時としては豪華だったキャビンやアール・デコ調のラウンジエリア、美しい天井や階段などを観て廻ることが出来る。船倉ではスタッフ用の船室も観覧できるし、なんと船底深く格納されているエンジンルームの姿まで拝めるのだ。目にするもの全てが、とても感銘深い。

乗船後まず一番に試してほしいことは、15分間の英語字幕付きビデオの観賞だ。これがなかなか楽しい。「未来への旅」と題されたこのビデオ、第一人称で氷川丸の歴史を語っている。氷川丸の歴史はそっくりそのまま日本の近代史だ。

氷川丸略歴

元々氷川丸は、横浜とアメリカ合衆国シアトル、サンフランシスコ間を貨物と乗客を乗せて往来するために建造されたおしゃれな貨客船だった。第二次世界大戦前、中、後に活躍した殆どの船がそうであるように、この氷川丸もまた劇的な人生を送ったのだ!

1930年に初航海(シアトル行)を行った氷川丸は、素晴らしいサービスと極上の食事を提供する、当代随一の貨客船だった。当時日本を訪れた殆ど全ての人々は横浜港から日本に入国したわけだが、彼らは通常この船に乗ってやってきた---チャーリー・チャップリンやニューヨーク・ヤンキースのベーブルースもこの中に含まれている。船内は当時流行のアール・デコ調に装飾され、船室の中には極めて美しく優雅なものがある。

日本が戦争に突入すると、氷川丸は両腹に赤十字章を抱き、病院船へと姿を変えた。戦時中3度も機雷に衝突したものの、奇跡的に軽微な損傷を被るに終わる。この船、美しいだけじゃなくタフなのだ!!

戦後アメリカ政府は、日米間のアメリカ人職員輸送用にこの船を使用した。続く1947年から1954年には、アメリカ東海岸行き貨物船として稼働することになる。その後貨客船として再び操業したものの、飛行機旅行時代の到来により営業成績は伸び悩み、1960年にその操業を停止した。現役時代この船は、太平洋を250回以上航行し、25,000人を超える乗客を運んだ。

1961年、氷川丸は(信じがたいことに)海に浮かぶユース・ホステルとして再開業、1973年まで営業を続ける。その後2003年、横浜市により「有形文化財」の指定を受け今に至っている。

横浜市は氷川丸を非常に便利で美しい場所に係留した---山下公園だ---近代的みなとみらいのスカイラインを望むには絶好のスポットだ。ほんの1時間でいいから何とか時間を取り、ぜひ氷川丸と山下公園を訪れてみてほしい。これ以上絶妙の組み合わせはない!

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