南北に細長い日本列島は除夜の鐘を号令に南からさまざまな花前線がさざ波のように北へと襞のうねりを送って行く。
だがその除夜の鐘を待ち切れずにスタートする冬の花がある。
水仙だ。
「日本野水仙」という野生種で、和名を「雪中花」という。
誰しも寒さの中に身を開くのは嫌なもの。
花とて同じことだ。だがこの「水仙」、そしてそれに続く「梅」は潔い。
寒風の中、ぷるりっ!と蕾を剥く。
なんと健気(けなげ)で可愛いのだろう。
東北地方では春待ち花だそうだ。
それが福井の越前海岸では12月から咲き始める。
これはすぐの沖合を対馬海流という暖流が流れているためだ。
その暖流に暖められた海風のおかげで水仙の根元に霜が降りないからである。
この越前海岸の中でも呼鳥門から越廼村居倉までの海岸沿いの急斜面の水仙群生地がとりわけ見事だ。
決して絢爛ではないが、厳冬の烈風に耐えながら咲き立つ清楚なたたずまいが可憐さや奥ゆかしさが見る者の心を揺する。
水仙の歴史は古い。
定かではないが、暖流に乗って水仙の球根が福井に漂着したという中国渡来説がある。
水仙の球根は1カ月海水に浸かっていても大丈夫だというからこの説、信憑性は高い。
記録では国府(現越前市)の妙法寺から将軍家に毎年水仙が献上されていたという記録がある(室町時代後期の京都・相国寺の公用日記「蔭涼軒(おんりょうけん)日録」)。
となれば福井は水仙に関して日本発祥の地かも知れない。
江戸時代にはその美しさや匂いの清楚さでつとに人気が高い花で、切り花として広く愛される花となった。
今日では、淡路島、千葉・房総半島と並び水仙の日本三大群生地としてこの越前海岸は知られている。
栽培面積は77ha(2011年の記録)では福井が日本一だ。
この水仙を巡る悲しい伝説が地元越前町梨子ケ平地区に伝わる。
平家討伐の命を受けた木曽義仲軍が寿永二年(1183年)この越前海岸にて山本五郎左衛門を味方に加え京都に攻め上がった。
五郎左衛門には一郎太、次郎太の二人の息子がいた。
どちらも、同行を、と詰め寄ったが二人戦死してしまっては家が絶えてしまうので一郎太だけに同行を許した。
木曽義仲も元は源義仲といい、頼朝や義経とは従兄弟の間柄だ。しかしこの時代はそのような血縁の繋がりより、御恩と奉公の封建制度の価値観の方が強固であった。義仲、頼朝とそれぞれが違う天皇を推したことで利害が対立し、朝敵とされた義仲軍は頼朝が差し向けた軍勢によって五郎左衛門、一郎太ともにあえなく討ち死にした。
その悲劇から幾歳月が流れた。
次郎太は真冬の日本海を眺めていた。うねり狂う荒波が波の華を岩場に吹き上げている。波の華とは、海水が波風にもまれて泡となったものだ。
何気なく岩の間の白い波の華に次郎太の眼が止まった。
「あ、人だ。人がいる!」
波に足をさらわれないように気をつけながら岩伝いに近寄って見るとそれは若い娘だった。着物も長い髪も濡らして横たわっている。
息はあるが身体が冷たすぎる。次郎太はその娘を抱きかかえて家へ連れて帰り大事に手厚く介護した。
数日後、意識が戻った娘だが、次郎太が尋ねても名前もどこから来たかも覚えていないという。それでもその娘には行くあてもないというので、次郎太と一緒に暮らすことになった。
「お前を、これから仙と呼ぶよ。お仙、どうだ?」
「はい、うれしゅうございます、次郎太様。」
村ではその娘のことが大層な評判となった。「美(うつく)せえべっぴんが次郎太のとこに来たんやとお。」「気遣いのある優しい子やってのお。」と村人たちはほめそやした。
二人は仲睦まじく暮らし、村にも穏やかな日々が続いた。
ところが、ある秋祭りの夜のこと。
家の戸をたたく音がする。
次郎太が閂の棒を外して戸を開けて見ると、薄暗がりの向こうに立っているのは死んだはずの兄、一郎太ではないか。顔はやせ細り垢で黒く汚れ着物もぼろとなり果てている。
「じ、ろ、う、た。。。」
「兄者!よくぞご無事で。」大喜びで涙を流して兄弟は抱き合った。
「父上は討ち死にしてしまった。私は追手を逃れてかろうじて逃げ延びてきた。して、この女子は?」
「お仙と申します。次郎太様に命を助けていただきました。今もお世話になっております。どうぞよろしゅうお願い申し上げます。」
「そうか。わしは一郎太、次郎太の兄じゃ。よろしくな。」
それから三人はかつてのように共に暮らすこととなった。
二人は幼い頃から仲の良い兄弟だったが、やがて二人ともお仙に心が惹かれるようになっていった。
お仙の美しさはまばゆいばかり。二重瞼のくりっと大きな瞳を見ると、兄弟二人とも紅潮してしまう。
「お仙が欲しい。嫁にしたい。」という思いは一郎太、次郎太二人の胸を押しつぶさんばかりに滾(たぎ)り募(つの)っていた。
となればどんなに仲良しの兄弟とて憎き恋敵。一郎太とお仙が睦まじく薪を集めていると次郎太は嫉妬心に身を焼き、次郎太とお仙が楽しそうに畑仕事をしているのを見ると一郎太の胸は裂けんばかりになる。
その愛欲の煩悩は二人をついに諍いへと突き落としていく。
ある冬の日の夜、二人が始めたほんの些細な口げんかから事はエスカレートし、ついに刀を持ち出しての切り合いになってしまった。押し逃げさらに押ししている間に二人は海岸の岩場に上がっていた。烈しい波しぶきが二人の足元を打つ。と、二人はともにその波にさらわれ落ちて、白濁の波の中に吸い込まれ見えなくなってしまった。
「一郎太さまあ。次郎太さまあ。」
顔面蒼白で叫ぶお仙の声も岩を打つ波の轟音にかき消されてしまう。濡れた岩に崩れ落ちながらお仙は泣いた。
『二人ともあんなに仲好かったのに。こんなことになってしまったのは、全部私のせいだわ。』
仏様。どうか一郎太様と次郎太様をお守りください。」
嗚咽に切れ切れとなりながらもかろうじてこうつぶやくと、沖合い上空の雲間から覗く明るい星に手を合わせたお仙は、二人が消えた波間に身を投げた。
その夜は激しい嵐となり、波が高く荒々しく岩に砕け散り、烈しい風は家々にたたきつけた。
翌朝嵐が収まり村人が浜に出て見ると、白い花が一輪波打際に揺れていた。拾い上げて見るとすがすがしい芳香がする。
一郎太、次郎太とお仙のことを知っていた村人たちは、この花がお仙の化身だろうと、海が見える丘にその花を植えてやり供養をした。
やがて一本のその花は群生となり、毎年お仙が身を投げた寒い冬が来るたびに村の斜面一面に甘く切ない匂いを漂わせて咲き乱れるようになった。
村人たちはその花に「水仙」と名付け愛し続けたという。