三国とあわらの町堺にある大堤池には大寒の頃、数百羽の真鴨が吹雪に叩かれながらもやがて訪れるであろう春に備えて羽を休めていた。
だが今すでに冬鳥の姿はなく、その水面は春の陽にうらうらと輝いている。
その大堤からほど近くに立つあわら温泉「清風荘」。創業62年の老舗旅館である。
昭和27(1952)年、8室の小さな旅館から出発したが、今では部屋数170、全室和室、とあわら温泉最大の規模を誇る。
20世紀末にはバスでの団体客がとても多かったという。
夕方遅くチェックインし朝早くチェックアウトする。
お客様は結構盛りだくさんに組まれた行程に載せられ、おそらくは料理と温泉を楽しむだけだったことだろう。
だがそれがナホトカ号重油流出事故あたりから、客層に大きな変化が出始めた。
それまでの団体客はぐっと減り、それに代わって個人客が増えてきたのである。
個人客は滞在交流を望んでいる。
数ある旅先から北陸を選ぶ。
さらにその中で福井を選ぶ。
宿泊はどこにしようか。
数ある候補地からあわら温泉を選ぶ。
その中から「清風荘」を選んでもらうためにどうしたらよいか。
女将の伊藤康代さんと話す機会がいただけた。
彼女は十数年前を振り返りながら、
「デジタル化で閉塞感のある今日にあって、人は心の通い合いの癒やしに渇いています。
そんな日常をしばらく離れてあわら温泉に、「清風荘」にお越しいただいたお客様に何を楽しんで何を持って帰ってもらえるか、それを始終考えていました。
やはり、コミュニケーションがキーワードなんです。地元の人たちとの語らいをお客様は望んでいるのだと分かりました。」
「嫁ぐ前は銀行員でした。22年前に嫁いだ後は先代の女将の後ろ姿に学びました。
人生どの場面もそうでしょうが、「清風荘」の女将を継いで今確信することは、すべて人と人とのご縁、そして絆だと思うんです。」
と語る。そのまなざしは優しく涼しい。
苦労や葛藤があった、と仰る女将だが、明るい笑顔にその影の片鱗すらも伺わせない。
お客様が求める<地元の人との交流>について言えば、「清風荘」のスタッフはまさしく地元の人である。
個人客はチェックインが早めである。
夕食までの数時間をその土地の人との語らいで過ごしたいと願っている。
となれば、旅館業務だけでなくお客様に声を掛け、あいさつやちょっとした会話をお客様と交わすことが重要な使命となってくる。
あわら周辺の観光情報、福井・あわらの人の暮らし。そういった旅先ならではの情報やエピソードについての言葉のやりとりが客の思い出をより一層深いものにしていくのだろう。
「お客様によろこんでもらいたいのです。そのためには、社員と心を一つにすることだと思います。スタッフがたくさんいるので大変ですが、そのおかげで女将としてがんばれています。また、人として成長することもできているかなと思いますね。」
温泉に宿泊したいと思うお客様も多様化している。
本物のおもてなしを求める客もいれば、夕食は旅館の外にある街の居酒屋や料理屋を探訪したいと願う客、あるいは温泉にゆっくり浸かるのが最大の楽しみというセミナー利用の団体客もいる。
料金についてもゆとりのある客とできるだけ廉価であげたい客もいたりする。
そういう様々なリクエストに応えられる豊富なプランを提供できるのは「清風荘」の大きな特長と魅力だ。
大型旅館なので料金によって、料金、コースにいろいろなバリエーションを設けることが可能なのである。
お客様の食事スタイルは、部屋食、貸切宴会食、バイキングと多様に対応している。
温泉、美味しい料理、もてなし、という旅館のサービスを通してお客様と心とスタッフの心をつなぎたい、と女将は願う。
心からのもてなしのサービスを一般化したいという思いからスタッフの名札には「真心」の二字を入れた。
「旅館というのは日本の伝統文化です。この素晴らしい文化を有するあわらの旅館を次の世代への遺産として残して行きたい。旅のお客様を心で受け入れ出迎えて、笑顔と心でお見送りしたいです。」
これだけの大きな旅館であっても、一人ひとりのお客様やスタッフとの心の通い合いに心を砕いている女将としての姿が素晴らしいと、私は感じ入った。
早めのチェックインを経て部屋の畳で寝そべりたい。
窓を開け、そよぐ風の涼味を味わいたい。
そして西日に輝く緑の美しい稲穂を眺めたい。
「清風荘」に泊まる楽しみが幾つもいくつも湧いてくるのである。