福井県敦賀市にある金崎宮は、「難関突破」「恋の宮」そして桜の名所としても有名だが歴史的重要人物が一同に介した場所でも有名である。
四月になると桜見物に訪れた男女が「花換えましょう」と声をかけあい、桜の小枝を交換することで思いを伝えたといわれる『花換まつり』が始まる。毎年祭りの期間中は、御本殿横の館にて福娘が迎えてくれる。福娘と『桜の小枝』を交換する前に神様への願い事を『桜の小枝』に託す。そして交換して帰ってきた『桜の小枝』が願いのこもった お守りとなる。夜になると駐車場近くの階段から本殿まで綺麗にライトアップされた夜桜を楽しめ、このシーズンの金ヶ崎宮は昼夜お花見客で賑わっている。
そして本殿から手筒山に続く小道が在る。ここを登っていくと尊良親王墓所見込地と月見御殿、三カ所の城戸跡が残っているのが道中の地図からも分かる。 源平合戦の時に城が築かれたのが最初とされているが、ここが有名になったのは、「太平記」の時代、新田義貞がこの城に籠もり、足利軍と激戦を繰り広げたからである。いまでも堀切跡など遺構が残っており、歴史ファン必見の地でもある。
また信長の妹お市が、両端を紐で結んだ小豆袋を信長に送り、浅井長政の裏切り、挟み撃ちの危険を知らせたと言う逸話は、この場所の話である。 信長は退路を絶たれて「袋の鼠」となりかねない状況に陥ると気付き、殿(しんがり)に木下秀吉(後の豊臣秀吉)などを置き、朽木氏の支援を得て、ほとんど身一つ、命からがら敦賀から朽木越えで京都へ脱出したという。 世に言う「金ヶ崎の退き口」である。
程よい傾斜の坂道と階段が続き10分程進むと、山の中腹に月見御殿がある。ここは海抜86メートルの所にありここまで来るとなかなか運動不足解消にもなる散歩コースだと思った。そして、ここは南北朝時代の本丸跡、戦国時代などには月見をしたと伝えられている。見晴らしは素晴らしく天候が良ければ遠く越前海岸まで望む事が出来る。
そして月見御殿から真下に望むと小島のような岬が見える、ここを『絹掛ノ崎』という。落城の際、恒良天皇が一目を避けるため御衣を厳上の松の枝に掛けて脱出されたという。現在、その松はまだ枯れていない。
などなど歴史的に紐解いていくと数々のエピソードを持っている金ヶ崎。訪れた際は歴史を感じながら見て回るとより一層面白みが増す事であろう。