軽井沢は、浅間山の麓に位置する避暑地の代名詞です。しかし130年前には、誰も軽井沢がこれほどに美しい場所だとは思いませんでした。
1885(明治18)年、軽井沢を通りかかった英国聖公会の宣教師は、その美しさと環境の良さに感動して、『屋根のない病院』と讃えました。翌年には別荘を手に入れて、家族とともに東京から避暑に訪れます。エアコンのない時代、蒸し暑い東京の夏は、外国人にとって、まったく堪え難いものだったのでしょう。さわやかな高原の風が吹き抜ける軽井沢で、彼らはシンプルで機能的な別荘生活を始めます。この別荘について特筆すべきは、敷地に囲いがないことでした。ショー師は、近隣に住む人々が、いつでも気軽に訪問できるようにしたのです。ショー記念礼拝堂とショーハウス記念館で見ることのできる、シンプルで機能的で気軽な別荘スタイルは、以後、軽井沢スタイルとして定着していきました。
ショーハウス記念館は、アレクサンダー・クロフト・ショー(1846-1902)の別荘を移築したものです。つまりこれが、軽井沢の別荘第一号です。軽井沢の冷涼な気候を気に入ったショー師は、1886(明治19)年以降、東京から家族とともにやってきて、夏の休暇を過ごすようになります。
ショー師は周囲の人々に、軽井沢の美しさや夏の過ごしやすさを繰り返し語りました。初めは、主に東京に暮らす外国人たちが、軽井沢を避暑地として選ぶようになります。続いて、海外経験のある華族や政財界の人々も、軽井沢に別荘を建てるようになりました。そして大正から昭和初期には、避暑地・軽井沢のステータスができあがっていったのです。