京こま匠 雀休

世界でオンリーワン、木綿糸で出来たコマ!

先日、オーストラリアから来た友人に会うため、京都を訪れた。彼には「秘密の場所!?」に案内してくれるというガイドが付いていて、蓋を開ければこのガイド、京都に25人いる「京都観光おもてなし大使」の一人だった。我々をどこに案内するかも告げず、すたすたと前方を歩いて行くガイド・・・。まさに「ミステリーツアー」と化した我々の京都観光の途上、ガイドがこう言った、「電車で二条城前まで行きます」。言われるままに切符を買い、先を行くガイドの後をひたすら追う。まるで気まぐれな主人の後に付き従う二匹の憐れなペットのようだ・・・。突然立ち止まったガイドに合わせ、我々も立ち止まると、「さあ、ここです!」と彼が言う。

ここです、と言われても、どこだ一体? するとガイドが我々を小さな店先に引き入れた。「雀休」という店だ。店に入るや否や、ここが何を売る店なのか、すぐに判明した。コマだ! でも、コマって別に珍しくもなんともないのでは?  特に日本人にとっては?  どうしてこれが「秘密の場所」なのか?!

秘密の正体 その 1 ; 木製じゃなく、なんと木綿糸製!
通常、日本のコマというのは木で出来ている。しかしこの店で作るコマは何と、木綿糸で出来ているというのだ。写真をご覧頂ければお分かりになると思うが、全てはこの細い木綿糸 1 本から始まっている。この木綿糸を横に並べ、表面をコーティングして平たい紐を作る。それを芯に巻きつけると京コマ の出来上がり、というわけだ。

秘密の正体 その 2 ; 京コマを作れるのは、なんと世界にただ一人しかいない!
京コマ匠、中村佳之氏は、30年前にリタイアした祖父からこの技を伝授された。子供の頃、祖父から習い、京コマ作りを学んだのだ。成長した中村さんが会社勤めをしていた10年程前、ふと興味が湧き、京コマの現状について調べてみたそうだ。するとなんと、京コマを作っている職人が一人もいない! 更に調べると、30年前にリタイアした祖父が京コマ作りの最後の職人で、この職人芸を復活させられるのは、自分しかいない事を発見してしまった。伝統文化の継承・・・この重い課題が中村さん一人の肩に重くのしかかった・・・。そして中村さんは大きな決断をする。周囲の人々の止めるのも聞かず (京コマ作りで生計を立てるのは困難だからだ)、なんと会社を辞め、伝統文化を継承するために、京コマ作りを始めることにしたのだ! なんたる勇気、素晴らしい!

京コマの歴史
京コマの歴史は古く、織田信長豊臣秀吉が天下を治めた安土桃山時代 (1573–1603) まで遡る。この頃から京コマは、宮廷貴族の女性たちの間で使われていたそうだ。着物の切れ端を竹の棒に巻き付け、くるくる廻して宮廷での遊びに使用していたらしい。また、占いや雨乞いの儀式にも使われたと言われている。江戸時代 (1603-1868) になると、酒の場などで遊びに使われた。そして現代に至りようやく子供のおもちゃとなる。

店名「雀休」の由来
かつて京都北区にあった中村さんの祖父の工房の庭に、よく雀が遊びに来ていたそうだ。中村さんの祖父は、遊びに来る雀たちに毎朝水をやるようになった。そのうち雀たちが休息する工房の庭は、何やら雀が茶を楽しむ庵のような様相を呈してきた。そこで工房に付けた名前が「雀の休息する場所」、すなわち「雀休」だ。 ちなみに中村さんの祖父は「雀休さん」と呼ばれていたそうだ。

現在、この京コマを作っているのは世界に中村さんただ一人だが、彼は近所の小学校などに度々出掛け、子供たちに京コマ作りを教えたりもしているそうだ。そのうち小学生達が中村さんに弟子入りし、将来この伝統技術を受け継いでくれるかもしれない! 中村さんの製作する京コマは、このサイトで購入できる

中村さんにお礼を述べ別れを告げた後、我らがミステリーツアーガイドは、何とオーストラリアの友人を京都から大阪へと連れ去ってしまった。何でも新たな「秘密の場所」へ彼を連れて行くのだとか・・・ 大阪で彼らが何を見つけたのか、興味津々だ。

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