坂本龍馬と由利公正

暗殺直前の福井訪問を記した龍馬の手紙新発見!

坂本龍馬、日本史の中でも最も有名で人気の高いヒーローの一人だ。明治維新直前、惜しくも京都で暗殺されてしまった龍馬だが、彼がその約1週間前に福井を訪れたことは、歴史ファンなら誰でも知っているだろう。しかし今まで彼の福井訪問を証明する記述は、当時福井で彼と面会した人物達の証言に基づく物だけだった。しかし最近になって、龍馬自身が福井訪問について書いた直筆の手紙が奇跡的に発見されたのだ!

ある日、日本の国営テレビNHKが「突撃! アッとホーム」という番組上で路上インタビューを行っていた。取材を受けた人々の中に東京都国立市の主婦がいた。彼女の自宅には、父親が骨董屋で何年も前に1000円で買ったという、龍馬直筆らしい手紙があるというのだ。そしてその手紙は茶の間のちゃぶ台の下で、忘れ去られたまま何年も転がっている、と。興味を持ったNHKのスタッフが手紙の鑑定を専門家に依頼したところ、なんと本物だったのだ! 数億円以上の価値もあろうかというその手紙は、高知県の県立坂本龍馬記念館に寄贈される予定だという。この手紙の画像は、記念館のホームページで見ることができる。

では暗殺される直前、龍馬は福井を訪れて、一体誰と会ったのか? それは由利公正だ。由利は卓越した経済家で、福井藩の財政を立て直し近代化に貢献した人物だ。龍馬は由利こそが明治新政府の経済政策を担える人物だと評価し、彼と日本の近代化について語り合うため福井を訪れたのだ。龍馬訪問当時、藩から蟄居謹慎を申し付けられていた由利は (明治維新前、革新的な思想を持つ武士は多かれ少なかれこのような弾圧を受けた)、藩から派遣された付添人と共に現れ、「私は悪党なので藩から番人が参りました」と冗談を飛ばしたという。

龍馬と由利は日本の将来について似通った考えを持つ同志だった。新発見された龍馬の手紙には新政府の財政担当者は「由利をおいて他にいない」と書かれている。龍馬が暗殺され明治新政府が発足すると、由利は参与に抜擢され、明治政府の財政政策を担う。また岩倉使節団の随員にも選ばれ、西洋諸国を歴訪して知識も深めた。要するに、新政府の大政治家へと出世したわけだ。

最後に、由利と龍馬の友情を裏付ける、心温まるエピソードをここにご紹介したい。龍馬が福井を訪れてから約1週間後、由利は足羽川沿いを歩いていた。由利の懐中には、龍馬から届いた手紙が入っていた。そこへ突然強風が吹き、龍馬の手紙を吹き飛ばしてしまったそうだ。その突風が吹いた瞬間こそ、京都で龍馬が暗殺された時刻だったというわけだ! 晩年の由利公正は龍馬を恋しがり、よく龍馬の話を人に語ったそうだ。

由利公正の銅像と坂本龍馬の石碑は、福井市中心部、幸橋のほとりに建っている。JR福井駅から徒歩10分の距離だ。坂本龍馬については、下記の記事もご参照頂きたい。

坂本龍馬シリーズ「龍馬を探せ」
1. 桂浜
2. 京都寺田屋
3. 霧島山
4. 龍馬の墓
5. 上五島「坂本龍馬ゆかりの広場」
6. 坂本龍馬と由利公正

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Takako Sakamoto 執筆者 9年前
広瀬さん。ご覧頂きましてどうも有難うございます。そうですね、やはり大人物というのは動乱時に生まれるんでしょうね、、、私たちが生きている間にそういう歴史に残る人材が日本に出てくるでしょうか?! 期待しましょう!
Takakoさん、いつもながらに素晴らしい歴史背景の記事ですね。とても興味深く拝見いたしました。素晴らしい革命家達。現代表面的には平和に見える世界もあちこちで紛争や独立国家形成の動きが見えていますよね。そろそろ動乱の兆しが見えるこの時代にも龍馬のような風雲児の出現が期待されているのかもしれませんね~!

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