福井県越前市の田んぼのど真ん中に、平家一門の菩提寺がある。城福寺だ。前篇では私がこの寺に辿り着いたいきさつと、平清盛の継母、池禅尼が、平治の乱後捕えられた幼き源頼朝 ( 後の鎌倉幕府創設者 ) の命を救った事をお話した。この後編では如何にして平家の菩提寺城福寺が、源氏一門の支配するその後の日本で生き残ったかを説明する。
平家滅亡、鎌倉幕府成立 平清盛の継母、池禅尼に命を助けられた源頼朝は、後に平家を滅亡させ1192年、鎌倉幕府を開く。一世を風靡した平家も敢え無く西海の藻屑と化したわけだが ( 壇ノ浦の戦い )、若き日の源頼朝の命を救った池禅尼の一族だけは助けられた。池禅尼には実の息子、頼盛がいた。平清盛の異母弟にあたる彼は、当然ながら他の平家一門と共に滅亡する運命にあったが、実母の頼朝に対する過去の厚情により、頼盛一族は命を助けられただけでなく、源氏牛耳る鎌倉幕府政権下で厚遇された。
城福寺の歴史 城福寺は平家滅亡後の1207年、越前守に任命された平頼盛の息子保盛により、西海に沈んだ平家一門の菩提を弔うため建立された。現在の地へ移ったのは1624年だ。江戸時代には越前松平福井藩主 ( 源氏だ! ) が代々参詣し、観桜して楽しんだという。池禅尼の善行に遡る事855年、彼女が繋いだ平家の血筋は平家第三十六代、城福寺第二十四代住職に至るまで脈々と受け継がれている。
城福寺を訪問して 私が寺を訪ねた時、国の名勝に指定されている城福寺庭園を見たいと思い、ダメ元で寺横の住居らしき建物のドアを叩いてみた。しばらくして老齢の男性が出てきたので、庭園を見せてほしい旨告げると「まだ雪が残っていて春の拝観用の手入れが出来ていないので綺麗ではない」と申し訳なさそうに私に言いながら訪問者用広間、そして庭を案内してくれた。約1時間近くもいろいろと話を聞かせてもらったのだが、後で考えると寺内を我が物顔で自由に行き来していたこの高齢の男性、私が長々と話し込んだその相手は、平家第三十五代、前住職・池家当主だったのではなかろうか?! だとしたら私は「平家の末裔」を目撃したことになる。こんなに簡単に歴史上の人物の末裔に会えてしまう福井とは、本当にすごいところだ!