京都が都になるずっと昔から、上賀茂神社はこの地にありました。上賀茂神社の祭神は、本殿の背後にある神山(こうやま)に降臨したと伝えられ、今でもそこは禁足地です。鴨川の上流域で農耕を営んでいた人々は、代々この神山を信仰し、時代を経て集落の人々の心の絆となっていったのです。周辺地域の遺跡調査によれば、賀茂社信仰の起源は紀元前にまでさかのぼると言われています。古代は社殿を構えずに礼拝していたようですが、678(白鳳6)年、天武天皇の時代に遥祭殿を造営したという記録が残っています。
広い神苑と森に囲まれた社殿
一ノ鳥居と二ノ鳥居の間には、緑の芝生で覆われた神秘的な神苑が広がっています。上賀茂神社の参道は、この緑の神苑を一直線に貫く160mの白砂の道です。夏の朝、私はひとりこの道を歩きました。その日、前にも後ろにも人影はなく、蝉時雨だけが響いていました。白砂の上を進んでいくのは、まるで神様のもとに一人で歩いていくかのような心細さと緊張感があったのを覚えています。ですが一方では、参道はとても清らかで、眼前の二ノ鳥居に近づくに連れて、次第に心が洗われていくような気がしました。
そしてこの開放的な感覚に慣れた頃に二ノ鳥居があり、それを越えると一気に視界が遮られます。木立に囲まれた社殿と、その間を流れる御手洗川。太上天皇が上賀茂神社を参拝する時に到着の場となる細殿(ほそどの)の前には、一組の立砂があります。立砂は神山をかたどった円錐形の盛り砂です。よく見ると、立砂の頂点には松葉が刺さっています。これは、神の力を受けるアンテナの働きをするのだそうです
本殿は御手洗川にかかる橋の向こうにあります。まず橋殿を渡り、次いで玉橋を渡ると、朱塗りの楼門があります。楼門は周りの緑に映えてとても美しい姿をしています。上賀茂神社を紹介する多くの写真は、この楼門を撮ったものです。本殿と権殿(ごんでん)、二つの重要な建物が楼門の奥にあり、特別参拝者には神職が案内をしてくれます。
御手洗川、物忌川、ならの小川
上賀茂神社の境内を流れる3つの小川の源流は、加茂川(鴨川の西の上流)です。年間、70以上の行事や儀式が執り行われる上賀茂神社では、楢林の間を流れる小川の水を用いて、神職たちが禊を行います。小川の縁には、アプローチとして数段の石段が組まれていました。
賀茂氏という一族
日本は米作りを基に成り立ってきた国です。賀茂氏は優れた農耕技術をもち、大和国葛城から山城国(京都)へと、米作に適した土地を求めて、一族で移動してきたと伝えられています。また賀茂氏は、その後も土地の開発と賀茂社奉仕につとめ、代々、一族の中から神職や社領地の行政を担う者が選ばれてきたようです。
上賀茂神社
今日では、上賀茂神社と下鴨神社に二分されていますが、両社の起源は一つで、鴨川上流域に祀られている一組の神社としてとらえることができます。京都の三大祭りの一つ、葵祭は、古来、厄を祓い、五穀豊穣を願う祭儀だったものです。毎年5月15日には、1200年前の貴族の装束を身につけた人々が、御所から下鴨神社、上賀茂神社へと練り歩く平安絵巻を繰り広げます。
癒しのパワースポット
京都のシンボルの一つ、鴨川。その鴨川の流れは、2000年以上も前から、上賀茂神社の浄めの水として使われてきました。川の水は滞ることなく、あらゆるものを流し、清めていきます。その水はまた、私たちの心を癒し、痛みや悲しみを和らげてくれるのだそうです。上賀茂神社は、強い癒しの気が流れるパワースポットとしても知られています。