京都市左京区に古刹銀閣寺はある。
京都駅前から100系統D1発の市バスに揺られること30分。
うとうとし始めた頃に、乗客のほぼ全員に引きつられて私も銀閣寺前ではきだされた。
門前通りのみやげ物店のにぎわいとは対象的に、参門を潜り抜けた向こう側の銀閣寺の境内は張り詰めた静謐さが心地よい。
秋とは言え日中の日差しには未だ真夏の強さが残っている。
それでも、流れる雲が日差しを遮ると秋の涼風が首筋の汗ばみを吹き飛ばしてくれて、今私は秋の真っただ中にいるのだということを思い出させてくれる。
参道を歩くにつけ思う。
どうだ、この枯淡の趣きは。
これこそ幽玄ではないか。
同じ思いであったはずの義政のつぶやきが、微かに唸りながら吹き抜けて行く風の向こうに聞こえてくるようだ。
銀閣寺は慈照寺ともいう。
銀閣寺という呼称は江戸時代に、金閣寺と対比する形で付けられた俗称である。
室町時代に将軍足利義政の創建になるこの銀閣寺は、当時から現存するのは銀閣と東求堂の2つのみである。
庭園などは江戸時代に大掛かりな改修工事がなされている。
しかし、庭園を巡ると「お茶の井」の石組など、七百年の時空を超えてなお静かに歴史を刻んでいる遺跡がそこかしこにある。
貴族の庭園生活で培われた義政の造園のセンスは秀逸だった。
庭木や石の種類と配置を自ら行い、義政の希求する美の極致を具現しようとしたのだ。
簡素と幽玄の東山文化の粋が結実したこの銀閣寺は、当時の流浪流転の日本社会の動乱とは裏腹に、只ただ静かに安らかに幾つもの四季をそっと重ね続けて行くのだろう。