シーサイドホテル舞子ビラ神戸

かつての有栖川宮別荘地

Takako Sakamoto   2014/05/28によって

徳島に行く前日、このホテルに宿泊したのは全くの偶然だった。ここを選んだ理由は簡単だ。徳島駅行きの高速バス乗り場が明石海峡大橋のたもとにあり、そのすぐ傍だったからだ。当初私たちは、大阪梅田からバスに乗る予定だった。しかし神戸の舞子から行く方が簡単で、しかも時間も短縮できることを知り (梅田からは 3.5 時間、舞子からはたったの 1.5 時間)、大阪で予約していたホテルを直前にキャンセルして、まだ空室があり、明石海峡大橋が綺麗に見えるホテルを選んだというわけだ。

夜到着した我々を迎えてくれたのは、部屋から見える何とも豪勢な明石海峡大橋の眺めだった。橋はホテルからほんの徒歩10分の場所にあり、美しくライトアップされたその姿は息を呑むほどの絶景だった。次に驚いたのがハート形のバスタブだ。シャワーブースも別にあり、バスルームの巨大なガラス窓からは明石海峡大橋が間近に見える。何ともロマンティックな演出だ。我々が予約した部屋は広々とした本館デラックスツインルームだったが、これがゴールデンウィーク中にも拘らず 1 泊たった 18,000 円というからすごい。しかしサプライズはこれだけではなかった。次の文章を読んで頂ければ、私がどれだけこのホテルを偶然予約したことをラッキーだと思ったか、お分かり頂けると思う。

有栖川宮の別邸
ホテル別館にある温泉に向かう途中 (そう、なんと温泉まであるのだこのホテル!)、廊下のショーウィンドウにホテルの由来を説明する資料が展示されていた。通り過ぎながら何気なく資料を見て、一瞬凍りついた。何だって? 資料によれば、このホテルはなんと、かつて有栖川宮熾仁親王 (ありすがわのみやたるひと)の別邸だったというではないか。そしてかつての宮の別荘の写真と共に、山崎豊子の有名小説「白い巨塔」の抜粋文が掲載されていた。なるほど、知らぬこととはいえ、偶然にも私は自分好みのホテルを宿泊地に選んだらしい。というのもまず第一に、私は山崎豊子のファンなのだ。第二に有栖川宮熾仁親王が活躍した時代そのものに興味がある・・・なんたる僥倖!

有栖川宮熾仁親王ってどんな人?
有栖川宮家は1913 年に継嗣不足により廃絶した宮家の一つだ。有栖川宮熾仁親王 (1835-1895) は孝明天皇 (1831-1867) の義兄弟、明治天皇 (1852-1912) の義理の伯父にあたる。夷人嫌いだった孝明天皇は、明治維新の 1 年前、1867 年に息を引き取る直前まで徳川幕府の味方をした。孝明天皇の死をきっかけに、後継者の明治天皇が若干 14 歳の若さだったことから、長州や薩摩といった革命藩が勢いを増し、最終的に徳川幕府を転覆して明治政府を立ち上げるに至る。

有栖川宮熾仁親王の生涯
彼の人生は、好むと好まざるとにかかわらず、激動の時代に翻弄された。まず、彼は孝明天皇の妹だった和宮親子内親王 (かずのみやちかこ) と婚約していた。しかし徳川幕府がその終焉間近、朝廷との繋がりを深めるため、和宮と第 14 代将軍、徳川家茂との結婚を画策、彼と和宮との婚約は悲劇の破談となる。1867年、明治天皇は有栖川宮を東征大総督に任命する。彼は主に薩摩、長州藩士からなる政府軍を率い徳川幕府打倒に奔走した。鳥羽伏見の戦いの後東海道を東征、皮肉にもかつての婚約者、和宮の住む江戸城を開城させる。後に有栖川宮は、西郷隆盛率いる薩摩軍と西南戦争で戦うことになる。その後日清戦争に参謀総長として従軍中、腸チフスを発症、舞子の別荘 (ここだ!) に戻り静養するが、1895 年 1 月 15 日、この地で逝去した。この舞子ビラが、彼の激動の人生の終焉地となったのだ。ちなみに有栖川宮の本邸は東京南麻布にあり、その跡地は現在有栖川宮記念公園と呼ばれている。

有栖川宮「舞子別邸」の変遷
このホテルはかつて有栖川宮熾仁親王の別邸だったわけだが、建築されたいきさつはこうだ。まず最初、彼は舞子地区にある柏山を訪れた。あまりの眺望の美しさに感激し、この地に別荘を建てることを計画、建築は 1893 年に始まり、1894 年に完成した。しかし皮肉にも 1894 年の後半病にかかり、新築したばかりのこの別邸で静養するも、翌年初頭、1895年に帰らぬ人となった。その後有栖川家の継嗣となった彼の弟も病に襲われこの別邸で静養するが、1913 年に同じくこの地で亡くなっている。彼には跡継ぎがなかったため、この弟の死をもって有栖川宮家は廃絶となった。明治天皇や昭和天皇も度々訪れたこの別邸だが、1917 年、住友財閥が購入、迎賓館として使用した。第二次世界大戦終了後、今度はアメリカ軍GHQがこれを接収、西洋風の建物に改修する。1966 年神戸市が購入し、その後民間企業に建物のみ売却、土地は建物購入先姉妹会社に賃貸し、その会社が現在ホテルを経営している。時の移ろいと共に、別邸の運命も変転したようだ。

部屋の価格
このホテルの価格帯だが、以下のようになっている。ちなみに価格は宿泊する時期により変動するので、予約前にチェックをお薦めする。

・シングルルーム (セミダブルベッド、18㎡) ... 5,050 円~ (一人/部屋)
・ダブルルーム (ダブルベッド、18㎡) ... 5,350 円~ (一人/部屋)
・スタンダード・ツインルーム (27㎡) ... 13,100 円~ (一泊/部屋)
・デラックス・ツインルーム (36㎡) ... 14,000 円~ (一泊/部屋) →これが私たちの泊まった部屋だ!
・和洋室 (54㎡) ... 12,600 円~ (一泊/部屋)

最後に、1963 年に出版された山崎豊子の小説「白い巨塔」ではこのホテル、伝統的で格式高く、海の景色が最高の、お洒落でロマンティックなホテルとして描かれている。株を上げるため、男性が恋人を連れて行くような場所だ。実際小説の主人公、傲岸不遜な財前教授も、劇中愛人連れで訪れている。しかし現在ホテルのホームページでも、有栖川宮との関係には一切触れておらず、ごく少数の人しかその歴史を知らないのではなかろうか。どうりで安いわけだ! 明石海峡大橋のたもと、神戸や四国を訪れるのに便利なこのホテル、実は穴場中の穴場かもしれない。歴史に興味がない人でも、ホテルからの絶景や素晴らしい設備だけで十分泊まる価値がある。ホテルの詳細な写真近隣の情報については別に書いた記事をご参照頂きたい。

Takako Sakamotoさんによって書かれました。
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