十九年前の1995年、真冬1月17日の早朝に神戸を襲った大激震は、遠い福井の私をも眠りから激しく揺すり起こした。
揺れはしばらく続いたがやがて収まり、私はたまさかの揺れだろうと再び浅い眠りに落ちた。
それが1時間後。テレビのスイッチを入れたとき、朝のニュースで映し出された地獄絵に私は凍りついた。
腹の奥底からこみ上げてくる薄気味の悪い悲劇や恐怖の予感に茫然と立ち尽くした記憶は未だに忘れることができない。
神戸を焦土と化した大震災ではあったが、この19年の歳月の間に神戸の人たちが見せた復興への情熱と努力は驚異と感嘆そのものである。
今日、神戸の街を歩いてみると、よほど目を凝らして見ない限り街中にあの災害の痕跡を見つけ出すのは難しい。
それほどに完璧に街は蘇っている。
時薬(ときぐすり)という。
時間の経過とともに身と心の傷は癒せるという。
しかし愛する人や家族を思う気持ちの熱さや、彼らを失った悲しみはたった19年では冷めたり癒えたりするはずもない。
虚ろとなった人々が春を迎え夏を送り秋を見やり終えたその冬12月。
犠牲となった六千余名の人々の鎮魂と追悼のために神戸の夜が電飾で彩られたのであった。
以来毎年12月になると、旧居留地から震災の鎮魂モニュメントが建つ東遊園地までの300メートル弱に24基のアーチが美しい電光で彩られ灯る。
若者たちは、ルミナリエの美しいイルミネーションに酔いしれ歓声をあげている。
鎮魂という静かな雰囲気ではなく、クリスマスシーズンでもあって、華やかな高揚が見上げる人々の笑顔にあふれている。
それはそれでいいと思うのだ。
このイルミネーションの祭典は追悼の意と同時に、商業を含む神戸の復興を願う思いも込められたのだから。
それに、一旦差し出された対象は、その提供者の意図を孕むも孕まないも自由に受け手の胸の底をさらう。
同様のイルミネーションイベントを開催している東京や大阪はそれをクリスマス商戦の華やかな色で包みリボンを掛ける。
人の思いはそれぞれに違うのだ。
私はどこか波間にたゆたうような寂寞と、それにそぐわないけれども同時にこみ上げる甘く優しい嬉しさに心を揺らしながら灯りを見やっていた。
そんな感慨までもこの光の祭典「神戸ルミナリエ」は抱かせてくれる。
開催の資金繰りが思うにまかせないという危惧を払拭する手立ては何としても講じなければならない。