横須賀 塚山公園

異人たちの足跡 5 ウィリアム・アダムス

Tomoko Kamishima   2012/09/03によって

塚山公園は、三浦半島の逸見一帯を所領としていた青い目のサムライ、ウィリアム・アダムス(William Adams)の供養塔と、その周辺を整備した公園である。公園の見晴し台に立ち、眼下の海と左手に大きく広がる東京と横浜の市街地を眺めると、アダムスがここに立って、江戸と江戸湾を睨みながら感じていた憂いと悲しみが伝わってくるような気がする。故郷から遠く離れた東の果てで暮らし、日本の土になった異国人。いつかはイギリスへ帰りたいと願い、この海を見つめていたアダムス。しかしそれは、ついに叶わなかった。

アダムスと日本

長く困難な航海を乗り越えて、アダムスと23人の乗組員が豊後国佐志生、今の大分県臼杵市に漂着したのは、1600(慶長5)年のことであった。アダムスの知識は、当時日本では全く知られていなかった数学、幾何学、天文学、航海術など多岐におよび、誠実で身をわきまえた態度や、難局での判断力の高さなどが、徳川家康の信頼を得ることになる。アダムスはやがて、将軍に直接仕える直参の旗本となった。領地は相州三浦郡逸見村、現在の神奈川県横須賀市西逸見あたりで、家数は約90戸。アダムスは屋敷内でブドウを栽培させ、ワインを造ったり、パンを焼いたりしていたという。

1604(慶長9)年、家康の要望により、現在の静岡県伊東市で、アダムスは少なくとも2隻の洋式帆船を完成させた。また家康が没するまで、外交上の助言やヨーロッパ諸国との対外交渉を行った。家康が貿易で巨万の富を蓄え得たのは、アダムスの才覚によるところ大だとも言われる。アダムスはしばしばイギリスへの帰国を願い出たが、家康は、長くこれを許さなかった。アダムスは一度帰国して妻メアリと娘に再会し、再び日本に戻るつもりだったらしい。

1613(慶長18)年、イギリス国王の親書を携えたジョン・セーリスが平戸に来航し、アダムスに待望の帰国のチャンスが巡ってきた。しかしセーリスは、日本の慣習を理解せず、日本人と日本人の考え方を代弁したアダムスを侮辱した。家康から帰国の許可が出たものの、セーリスへの反感から、アダムスは帰国を見送ってしまう。

1616(元和2)年、家康が亡くなると、アダムスは外交上の地位を失い、幕府から遠ざけられた。二代将軍秀忠は、外国人の活動を厳しく制限し、対外貿易も大幅に縮小して、長崎県の平戸を唯一の港と定めた。それでも秀忠は、アダムスには最後まで貿易許可を出し、アダムスの息子ジョセフにも貿易用の朱印と奉書を交付した。アダムスは、平戸に移って東南アジア貿易を拡大しようと試みたが、シャムからの航海中に病に倒れ、1620(元和6)年に平戸で亡くなった。

来日までのアダムス

1564(永禄7)年、ロンドンの南東にあるケント州ジリンガム(現メッドウェイ)で生まれたアダムスは、12才でニコラス・ディギンズ(名門ライムハウス造船所の所長)に弟子入りした。そこで天文学、数学、物理学、造船術、航海術などを身につけ航海士となる。また生来語学の才に恵まれ、英語、ポルトガル語、オランダ語、スペイン語などを使いこなした。1588(天正16)年、24才のアダムスは、イギリス海軍とスペイン無敵艦隊との海戦で、補給船リチャード・ダフィール号の船長となり、食料や弾薬を運んで大胆さを身につけ、航海術に磨きをかけた。

この戦争中にロンドン生まれのメアリ・ハインと出会い結婚、一女に恵まれた。戦後、アダムスはバーバリー貿易会社の貿易船乗組員となり、その後10年に渡り、イギリスとアフリカ北西海域を往復することになる。この経験はアダムスの航海技術をさらに大きく向上させた。

1598(慶長3)年、アダムスと弟のトーマスは、アジア貿易新航路を求めていたオランダ商船団に志願した。出発時は5隻の艦隊だったが、出航時期が遅れて逆風に遭い、その後病人が続出、マゼラン海峡でのやむを得ぬ越冬の後、嵐によって船団は四散してしまう。慢性的に食料や水の不足などが続き、航海は困難を極めた。多くの船員が命を落とし、弟のトーマスも、臨時補給に立ち寄った島で亡くなった。結局、アダムスの乗るリーフデ号1隻だけが、オランダのテクセルを出てから約19ヶ月後に日本に到着した。この時、110人乗り、300トンのリーフデ号の船員はわずか24人、立って自力で歩くことができたのは、アダムスを含めて9人にすぎなかった。

アダムスの容貌や服装を伝える資料は乏しい。静岡県伊東市や横須賀市自然人文博物館にあるアダムス像は、後代の創作であるが、あご髭とカールした髪、鋭い目つきなどは、屈強な海の男の風貌として、さもありなんという気がする。資料によると、普段のアダムスは洋装に帯刀という出立ちであったと伝えられる。

Tomoko Kamishimaさんによって書かれました。
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