日常生活の慌ただしさを抜けてひっそりと静まったギャラリーで名画の前に佇む一時ほど、安らぎを覚えることは無い。
時空の遥か彼方にある風景や人物が天才の手により画布に封じ込められて今自分の前にある。
見る者はその画家の筆致を視線でなぞり、画家の思想や人生を思う。
映画はすべて映しだされた映像を受容するのだが、美術は見る側が想像力をはためかせなければならない。
それだけに、ギャラリーにいながら私達は、ある時は十四世紀イタリアにいたり、またある時は19世紀南フランスの小川のほとりにいたりする。
東京には数多素晴らしい美術館がある。
思いつくだけ挙げても、上野の森には西洋美術館、東京都美術館、上野の森美術館、芸術大学美術館、黒田世紀美術館。
その他ブリジストン美術館、森美術館、山種美術館、サントリー美術館などなど。
そしてそれらがそれぞれに企画展を開催して、東京は一年中世界中の名画が次から次へと楽しめる、世界的にも羨ましい都市である。
しかし、あいにく名画展に出かけて行ってもあまりの観客の多さに辟易することもしばしばである。
名画の前には黒だかりの人の山で、ゆっくり佇んで観賞することはなかなか難しい。
ゆっくり見ようにも後ろから押されて早く動けとばかりに次の絵の前にどんどん動かされてゆく。
パリのルーブルでもニューヨークのメトロポリタンでもそんな窮屈なことはなかった。
名画の前に何十分いようが構わない。
海外の美術館を訪れ、はたまた東京の美術館に足を運ぶに及んで、いつもため息をついていたものだ。
ところがである。
20年前に福井へ帰郷し、県立美術館へと出かけたら驚いた。
名画展なのに、ルーブルと同じなのだ。
私を名画の前に好きなだけ置いてくれる。
好きなだけ絵と対話することを許してくれるのだ。
なんという贅沢。
およそ日本では叶わないと諦めていただけに、私は福井のこの県立美術館がすっかり気に入ってしまった。
もともと人口の少ない福井県だが、昨今は美術館ファンも増えてきているようで、有名な企画展も美術館の努力もあって盛況のようである。
それでも私はゆっくりと名画を前に思いを巡らせることができる。
併設のカフェ「ニホ」は、同輩の美術ファンや美術館カフェファンが思い思いのひとときを過ごしている。
そんな素敵な時間を楽しむ人が福井でもっと増えて欲しいものだ。