福井県福井市の郡部、越前海岸に近い西畑町。
農家民宿「オーベルジュフジイフェルミエ」の裏手にある山を宿泊客と共に登る。
山の名前は「鷹巣山」という。
さかのぼること680年、時は南北朝の時代。
建武の新政に挫折した後醍醐天皇は南朝に下ったが、福井越前の武将新田義貞は南朝側に付く。
北朝の足利軍は新田を攻めんと福井に押し寄せた。
敦賀、鯖江と新田側の城は次々と攻め落とされ、暦応元年(1338)新田義貞はあえなく戦死。
翌2年八月に後醍醐天皇も崩御とあって、南朝側の城はわが鷹巣城のみになってしまった。
新田義貞には新田四天王と呼ばれる豪傑の家臣がいた。
そのうちの一人、畑六郎左衛門時能(はたろくろうざえもんときよし)は家来27騎300人で鷹巣城に籠る。
標高438メートルの鷹巣山はそのふもとを足利軍七千騎の大軍勢に幾重にも取り囲まれ、時能軍は兵糧攻めに遭ったのであった。
しかし時能を慕うふもとの村人たちは夜闇にまぎれて味噌米などの兵糧を城へ運び上げ時能軍を1年半に渡って支えたのである。
この行は江戸時代に書かれた「太平記」に詳しい。
はるかな時空を超えて細い山道の上では、微風が木漏れ日を躍らせている。
城の石垣に用いられたであろう石はまだ風化せず、当時のノミの跡がくっきりと残っている。
山頂はなだらかな平地となっていて、現在は城跡の石碑がひっそりとたたずむばかりだ。
午後の柔らかな日差しの中で、かつての乱世の時代を想う。
味わい深いひと時である