福井県はS字状の長い海岸線を持つ県である。若狭には女性的な美しさのリアス式海岸、一方、角ばった岩が波間からそそり立つ男性的な海岸隆起の海岸が越前海岸だ。
福井駅からおよそ30余キロ。鷹巣の亀島辺りから道路は海岸沿いを走る。越前海岸の美しい風景に魅了されながら鉾島を過ぎて鮎川に入る辺り、「ワタリグラススタジオ」のサインボードがさりげなく路傍に立つ。
オーナー兼ガラス工芸作家である長谷川さんご夫妻が、このガラス工芸スタジオを切り盛りしている。ご主人の渡さんはとても穏やかで優しい語り方をする素敵な人である。奥様の陽子さんとは職場恋愛だそうだ。
渡さんはこの国見という地区で生まれ育った。
国見の海は四季の移ろいとともに表情を変える。荒くれだった怒涛の波は冬のものである。春から夏にかけては鏡のように凪いだ日が多い。波もちゃぷんちゃぷんと10センチほどに寄せて石を濡らしているそんな日もある。雲間から陽光が海に差す瞬間はひときわの美しさが現れる。灰色がいきなり翡翠の緑色に浮かび上がり、サファイアの群青色がの緑に寄り添う。夕陽が水平線に消える瞬間のグリーンフラッシュは絶景だ。太陽が一瞬青緑色に光り輝く。そのような国見の美しいこの海を渡さんはこよなく愛する。
渡さんは、「ガラスは海と相性が良いんですよ。」とおっしゃる。生まれ育った故郷の海が彼の感性の底にずうっと横たわっていた。この表情豊かな海の美しさがあればこそ、ガラス工芸者の道を自分は歩んできた、と。
そのきっかけは実にさりげない形で彼の前に現れた。高校、大学と目指すアテも特に見当たらず悶々としていた20歳のある日、眺めていたテレビに、あるガラス工芸の光景が映っていた。そのとき彼の胸に「これかも!?」と、小さな光が瞬いた。
その工房を探し当て、入口をうろついたり、どうやったら弟子入りできるのだろうか、と思ったりしつつも、時間はゆっくりと過ぎていった。
そのガラス工芸作家は、のちに彼の師匠ともなる伊藤賢治さんである。ガラス工芸家になるなら、と伊藤氏に勧められて渡さんは「東京ガラス工芸研究所」に入学、3年間ガラス工芸の基礎を学んだ。
この専門学校に在籍中、今の「ワタリグラススタジオ」という名前の工房を故郷に作る構想は渡さんの胸中ですでに温められていた。
卒業後、伊藤賢治さんの工房を初め、台湾や川崎、福島などいろいろな工房で腕を磨く。
2011年、意を決してご夫婦で国見に帰郷、現在の「ワタリガラススタジオ」を創建して、今日に至っている。
さて、ガラスの器はどのように作られるのだろう。工程を見てみよう。
先ずは、原料には、細かいパウダー状の珪砂を使う。珪砂は、石英、長石などが原料になっている。これを炉の中で溶かし、1330度に上げてガラスの化合物に変える。溶けた状態で一晩寝かせて1140度くらいに温度を下げて作業する。炉の中に1週間分ほどの量を入れて使い切る。
色はすでに色のついたガラスの粒を合わせる場合と、自分で作る場合とがある。銅やコバルトは青を作るとき、緑は鉄、紫はニッケル、赤は銅などを使ってこしらえる。
ガラス工芸の面白さは、ガラス独特の美しさと同時に、作業の面白さにある。
それを一般の人にも楽しんでもらいたいと、ワタリグラススタジオでは「ガラス工芸体験」を行っている。
ガラス工芸は長年にわたる熟練の技術が必要なので、工程全部を初めての人がこなすのは不可能だそうだ。そこで長谷川さんご夫妻がお客さんに手を添えて難易度を下げ、気に入った作品ができるように体験プログラム構成を考えている。ガラスは柔らかすぎたら流れてしまうし、固すぎるとこれまた形にならない。炉の中から外へと1000度の温度の差で、ガラスは急激に温度を下げる。形を変えるのに手を加えられるのはその中のほんの短い時間しかない。その10秒ほどの瞬間を狙って作業を入れていく。
「自宅に持ち帰った器をながめてまた来たいな、という気持ちが体験をされたお客様に起こってくれたら、そしてここのスタジオにお客さんが増えて賑わいが増していってくれたらうれしいですね。」、と渡さん。
田舎でこそクリエイティブな活動ができる。都会で暮らすより田舎の方がイケてる、と。そんな場所にこのスタジオを構え賑わいの場所にし、さらにこの越前海岸を盛り上げてしていけたらいいですね、と遠くの海を眺めながらおっしゃる渡さんの目が涼しい。