京都駅の北すぐの街中にある東本願寺は浄土真宗の総本山である。
この浄土真宗は八百余年前に親鸞により興された宗派だ。
親鸞は日野家という貴族の出身である。
日野家といえば室町幕府の将軍の正室を代々送り出した名門だ。
日本史の中心にあって妻という立場を通し、歴史を裏で動かしてきた家柄である。
となると親鸞も男子の本懐として政治の道を歩んでしかるべきだったろう。
だが彼はその一族から離れて、仏門の扉をたたいたのだった。
わずか9歳にして比叡山延暦寺の青蓮院慈円の門下となる。
当時の日本は平安の末期、不安定な政情下にあった。
皇位継承問題で朝廷が分裂して起こった保元の乱(1156年)、さらに平治の乱(1160年)と、京都を中心に戦乱の嵐が日本全土に吹き荒れていた。
各地の豪族たちはより広大な荘園を領有せんと、隙を見せる政敵の寝首をかくことに血道をあげていたのである。
そのような、貴族政治から武家政治へと日本の政治構造が大転換する、まさにその途上の時期に親鸞は生を受けたのだった。
さらに戦乱は続く。源平の戦いが日本を二分し、養和の大飢饉が全国を襲う。
京都洛中だけでも四万以上の死者が出て腐乱死体が鴨川を埋めつくし悪臭が洛中全土に漂ったという。