地下鉄東西線「東山」駅からゆっくり歩いて5分ほどのところに、青蓮院(しょうれんいん)という、とても美しい寺院がある。1150(久安6)年に創建された青蓮院には、時代の変遷とともに作られた3つの庭があり、それを建物の内外から鑑賞することができるのが特徴だ。京都の寺社では、管理のためか、建物の中からしか庭を見ることができなかったり、逆に庭を回遊することはできても、建物内部は公開していなかったりすることが多い。しかし、青蓮院の庭は、座敷に座って眺め、回廊を歩きながら眺め、そして園路を歩きながら眺めることができるのだ。特に、華頂殿に面する「相阿弥の庭」は、起伏に富んだ池泉回遊式の庭で、築山と木々の配置の妙は一見に値する。この庭を作ったとされる絵師・相阿弥は、伝承では、銀閣寺や大仙院の書院なども手がけたという。
回遊順路
1) 建物に入り、華頂殿から「相阿弥の庭」を眺める。その後、コの字型の回廊を歩いて奥に進み、様々な角度から庭を楽しむ。
2) さらに回廊を進み、宸殿前に広がる苔の庭を鑑賞する。
3) 最後に、庭に降りて「相阿弥の庭」、小堀遠州作と伝えられる「霧島ツツジの庭」を巡り、背後の丘に登って全景を眺めてから、もう一度苔の庭を見る。
華頂殿
建物に入ってすぐの座敷が、華頂殿という名の客殿である。まず息をのむのは、60面の真っ白な襖に描かれたモダンなデザインの蓮の花だ。それだけでも見事な装飾であるが、鴨居の上には三十六歌仙の額絵が飾られ、室内を明るく彩っている。座敷の奥に進み、部屋の中央に座る。冬の日ならば、暗い室内に差し込む光に、すっぽりと包まれる感覚はこの上なく心地よい。訪れる人の多くは、じっとこの光の中に佇んで動かない。私もそうだった。静かに流れる時間の中で、ただぼんやりと庭を眺めながら、暖かい光を感じて過ごした。
コの字型の回廊
華頂殿から「相阿弥の庭」を堪能したら、部屋を出て回廊を歩く。庭の奥へ、奥へと進んでいくと、見る場所によって石や木の表情が変わっていくから不思議だ。小御所と本堂を過ぎれば、そこが最奥である。「相阿弥の庭」と反対側に渡り、鮮やかな苔の庭を見た後、一度戻って宸殿へと移動する。
宸殿
宸殿は、重要な儀式が執り行われる場所である。部屋の中央部分は、房飾りのついた赤い御簾で仕切られている。前庭には左近の桜、右近の橘が植えられていたが、御所の紫宸殿などに敷き詰められている白砂の代わりに、ここでは一面が柔らかそうな苔で覆われていた。苔の緑が目に優しい。
園路
建物の入り口まで戻って庭に出る。華頂殿の前を通って「霧島ツツジの庭」(江戸時代)を歩き、「相阿弥の庭」(室町時代)を通り抜けて裏山に登る。一番上までいくと、寺域全体を見渡すことができて気持ちいい。深呼吸すれば、森の匂いが体にしみわたるようだ。その後は、下って美しい苔の庭(平安時代末期〜鎌倉時代?)を眺め、鐘楼の脇を通り、出口へと向かう。
相阿弥
相阿弥(1459?-1525)は、足利将軍家に仕えた同朋衆の一人である。絵師であるとともに、鑑定家、連歌師、作庭家などとしても活躍したマルチな天才だったようだ。絵師としての相阿弥は、祖父・能阿弥、父・芸阿弥から続く阿弥派の絵画を大成させた巨匠で、当時としても別格の扱いを受けていた。現在、相阿弥の作品は、アメリカ・メトロポリタン美術館やクリーブランド美術館にも所蔵されている。
このシリーズについて
王朝文化に華やいだ平安時代(794-1185)、中央貴族たちは寝殿造の屋敷に住み、季節ごとに変わる庭の美しさを楽しみました。当時の建物には壁がなく、外周は蔀戸や妻戸のみで仕切られていたため、それらの戸をすべて開放すれば、室内と外の自然とが、たちまち一体となりました。建物をつなぐ回廊は、細い柱で屋根を支えた廊下です。ここもまた、雨や雪にぬれることなく、外の景色を楽しむことができるという点で、内外が一体化した空間でした。残念ながら往時の貴族屋敷は残っていませんが、平安時代に創建された寺院の中には、その面影を見ることができます。
このシリーズでは、内であって外でもある回廊に焦点を当てて、京都のお寺を訪ねてみたいと思います。
1 永観堂(853年創建):上へ上へと伸びていく垂直回廊
2 大覚寺(876年創建):どこまでも続く迷宮回廊
3 仁和寺(888年創建):鍵型の回廊と2つの庭
4 青蓮院(1150年創建):コの字型の回廊と3つの庭
回廊巡りを楽しんだ後は、禅宗とともに発達した枯山水の庭園や、武家の庭である回遊式庭園を訪ねてみてはいかがでしょうか。京都の作庭家シリーズでは、名庭と作庭家についてご紹介しています。