智積院 名勝庭園

安住の地をえた放浪の寺

智積院が現在の形になるまでには、政治闘争に翻弄された長い歴史があった。しかし今、ここにはそんな過去をまったく感じさせないほど美しい景観が広がっている。豊臣秀吉は、高い軍事力と経済力を擁して地域自治を行っていた根来山を攻め、全山を焼いた。根来山の学問所だった智積院はその後、各地を転々とする。豊臣氏が滅ぶと、徳川家康は、豊臣家の栄光の足跡を消し始めた。その一つとして、秀吉の愛児・鶴松のために建てられた祥雲寺の寺地に、放浪していた智積院を移転させたのである。目の前に迫るツツジの刈り込みと足下の池、長谷川等伯の障壁画、新造された講堂の美しい回廊など、智積院には、かつて敵対していた豊臣家の栄華の香りが残っている。

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